発行所 千葉県立国府台高等学校同窓会 広報委員会
市川市 国府台 2-4-1
発行責任者 伊能 重憲
平成28年5月28日、母校会議室に於いて平成28年度定例総会が開催された。
伊能重憲会長の挨拶に引き続き、石塚由乙校長より母校の近況報告を兼ね挨拶があった。
議事に先立って藤原孝夫副会長が議長に選出された。
まず、『平成28年度事業報告』『平成28年度会計報告・監査報告』が一括して議題とされ、いずれの報告も承認された。
続いて『会則改正について』が議題とされた。常任理事会、理事会及び委員会の業務分担の再編の一環として、常任委員会を常設委員会に改称するとともに、これまで理事の掘り起こし等の業務も行っていた名簿ネットワーク委員会を改組し、会員台帳と付随する個人情報の管理に業務を特化された個人情報管理委員会とすることが今回の改正の趣旨である。満場拍手により改正案は原案の通り承認された。
さらに、『平成29年度事業案』『平成29年度予算案』が一括して議題とされた。会則の改正をふまえて新組織となった個人情報管理委員会の業務も含め、いずれも原案の通り承認された。
議事の最後に、『役員改選』が行われた。伊能重憲会長(9期)が引き続きその職を担う他、新たに書記飯田裕氏(20期)監査小島純夫先生(30期)が加わった役員案が示され、全役員が拍手により信任を受けた。【議事内容はこちら】
議事終了後、恒例の懇親会は、谷野宏之教頭が中庭でタヌキに出会った話など、国府台で出会った人、コト、モノを話題の中心として和やかな語らいの場となった。野球部父母会のお礼と報告・応援タオルの頒布もはさみつつ交流を深め、石塚校長の美声による指導のもと全員で校歌を斉唱してお開きとなった。
寿司復活
今回の懇親会に於いて特筆すべきは寿司の復活で、参加者からは大変好評を博した。
ここ数年、総会への参加者数は減少著しく、寂しい限りの状態となっている。昭和の末年頃までは、毎年懇親会で寿司が振舞われており「5月第四日曜日は同窓会総会で寿司をつまもう」を合言葉に百数十人が集い活況を呈していたと聞く。寿司の復活で直ちに往事にあやかれるというものでもないが、総会参加者増加のきっかけとなればと期待される。
寿司をつまむためだけの参加でも大歓迎である。会員各位に総会に足を運んでいただければと切に願って已まない。
2万3千名の国府台高等学校同窓会(鴻陵会)会員の皆様にはご健勝でご活躍のこととお喜び申し上げます。
日頃より、同窓会へのご支援誠にありがたく御礼申し上げる次第です。殊に賛助金へのご協力につきましては衷心より厚く御礼申し上げます。
卒業時の終身会費のみでは母校の諸活動への支援もままなりません。ご支援のおかげをもって同窓会会報全員配布事業も継続して参りました。
同窓生有志の母校会議室に於ける一日がかりの袋詰め発送作業も恒例となっております。昨今は吹奏楽部部員の大いなるお手伝いを頂きながら、約一万五千通を郵便局に託しております。
また部活動への支援も実施して参りました。皆様のご厚情の賜物と感謝有るのみであります。
詳細につきましては5月第四日曜日の同窓会総会にてご報告申し上げており、皆様のご出席をお待ち申し上げておるところです。
同窓会役員の選任は後任者の不足が大きな悩みであります。まずは9期生の会長の交代を自他ともに希望するところでありますが、思うようにいかず、在任期間既に十年を過ぎ、責任を感じておるところです。
適宜適時に役員が交代することで、担い手の負担も軽減でき、同時に会に新たな視点と実践力をもたらされるものと確信しております。昨今、同期会の開催をよく耳にしており、大変結構なことと喜んでおります。
その同期会から常任理事や本部役員を送り出していただき、無理のないところで、同窓会活動に参加いただければと強く望んでおります。
結びに、母校の発展、並びに会員の皆様のますますのご健勝とますますのご発展、同窓会への参加を祈念申し上げ、挨拶とさせていただきます。
平成29年9月2日3日の両日、「一祭 合祭 鴻陵祭(いっさいがっさい こうりょうさい)」のスローガンのもと、第70回鴻陵祭が開催されました。
例年通り、3年生の演劇、1・2年生の模擬店、委員会や部・同好会の発表が行われ、多くの観客で賑わっていました。
同窓会は、昨年に続いて本館一階の応接室(とその周辺の一角)を会場として、おなじみになった中村祐次先生による墨彩画教室、会報や日頃の活動の様子の写真などの展示を行ったほか、鴻陵祭70回記念スタンプも設置公開しました。
さらに、今回からの新機軸として、同窓会の部屋に足を運んでくれた同窓生の皆さんを記念撮影。頂いたコメントと併せ、会報に掲載することにしました。当日の雰囲気の一端を感じていただければと思います。
どうぞ皆さん、気軽に鴻陵祭、そして同窓会の部屋を覗いてみて下さい。
鴻陵祭が第70回を迎えた。
文化祭という行事それ自体の在りようを手探りの黎明期。ほどなく鴻陵祭の名が冠され、前夜祭・後夜祭を伴うようになる。
実施の是非が論じられた学園紛争の時代。
音楽(合唱)祭、体育祭、更には講師を招いての講演会までもが連続する総合学園祭としての鴻陵祭の時代。
諸般の事情から文化祭が独立して鴻陵祭を名乗り今日に至る。
鴻陵生の底力を表象する最適解の追究という本質があってこそ、時流のうねりに適応し様式の変遷を辿って来たのが鴻陵祭だ。
一方、3年生の演劇は、第25回のどさまわりを先駆とし、第35回(現時点までの歴史の折り返し)以後は3年生全学級が演劇で参加するようになり定着。
ただ、なぜ演劇かという理由が「伝統だから」になりつつあるのは残念だ。
様式のみで本質を伴わない『作られた伝統』は虚しい。
学期制の変更と授業時間確保のため、鴻陵祭の日程も俎上と聞く。
鴻陵祭の本質と向き合う汐合いを逃さないで欲しい。