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国府台高校同窓会会報
WEB版

第34号
2015年(平成27年)2月8日

( 2-3 )

ポスト


創立70周年記念祝賀会
 

動画(別ウィンドウで開きます)


 大詰めは、国府台混声合唱団の指揮・歌唱指導により全員で校歌を斉唱し、加藤徹理事長のリードでエールを唱和。青木利男副会長の閉会の辞で華やかな祝宴を締め括りました。
 恩師、諸先輩を前にしての大役は緊張しましたが、共に準備をして来たメンバーや妹のフォローのお蔭もあり、なんとかこなすことができました。このような機会を与えてくださった皆さんや国府台高校に感謝しています。ありがとうございました。
藤河 慶典
(54期H14年卒)
 毎年恒例の会報発送作業がきっかけで、加藤理事長や浦田祝宴の部進行班長に声を掛けていただき、妹の利恵(五十八期)とともに七十周年祝賀会で祝宴の部司会をつとめることになりました。以来、まるで現役時代の鴻陵祭のように楽しみながら準備を進めました。
 当日は記録的な大雪でしたが、吉村浩男副会長の開会の辞で予定通り幕を開けました。伊能重憲同窓会会長、古山弘志校長、尾崎えみ子PTA会長の挨拶と進み、恩師で本校一期生の中村祐次先生の音頭で乾杯。大久保博市川市長(二十期)からも一言いただきました。
 中盤から私たち兄妹が司会を務める祝宴の部へと移りました。酒食を楽しみながら、鴻陵の歴史・未来・人の繋がりを想うというコンセプトです。まず、壁面 スクリーンに学校紹介を上映。続いて、草分けの一期生、県立移管・男女共学となった五期生、同期会報五十号を超えた三期生、葛南分校生、参加者で最年少の 六十期生が順に登壇。母校への思いを語っていただきました。更に、往年の恩師の方々には想い出を、現職の先生方には母校の現況や未来に向けての抱負などを 語っていただきました。



5期(S28年卒)
同期会を開催



 傘寿を迎えて十月十六日午後一時から市川駅南口ベルクで五期生同期会を開催しました。
 当日は恩師高浦先生をお招きしました。八十六歳というお歳になられましたが元気な姿で挨拶を頂き、平和の大切さを話して下さいました。
 出席者は男十四名、女八名。六十年ぶりにS君(B組)が出席してくれました。高校時代山登りが好きだった彼は、現在ライブを中心に音楽活動をしているとのことです。

 会が進行する中でそれぞれが高校時代の想い出に花を咲かせて盛り上がり、「同期会がこれからも続くよう、元気で再び会いましょう」と最後は一本締めで結びました。
森 包易

14期(S37年卒)
山麓会の報告




 平成二十六年十月十六日、十四期三年六組岡部クラス〈山麓会〉を開催しました。

 在学中の三年間クラス替えがなかった十四期は、どのクラスも絆が強く、クラス会の回数も多いと思われます。母校の歴史と共に歩んだ七十年余りの間、競争 社会での激闘や家庭での子育てを経て、山麓の仲間の交流も半世紀を超えました。この間に担任だった岡部重朝先生を失い、クラスメイト八名との別れがありま した。子供の成長・孫自慢・趣味と相変わらずの話題ながらも、なぜか(細々と)続いております。闘病、家族の介護といった苦労も織り交ぜながら、お互いに 励まし合い慰め合うのも仲間です。

 今年は地元に帰って市川駅前周辺で、昼食、コーヒーブレイク、居酒屋と場所を変えて、気がつけば八時間もお喋りを楽しみました。会場の会席料理店を予約 の際、国府台高校卒業生の同窓会に使いたい旨お話したところ、店長が「国府台ですか〜。すごいところ出られたんですネ!」とおっしゃられ、なんとも誇り高 い心持ちでした。
 今後も仲間の集まりやすい山麓会の環境づくりに留意して、母校の文武両道の発展を祈りつつ毎年開催していく計画です。
鈴木 隆夫

15期(S38年卒)
古希の友集合



    古希の友
     恩師と祝う 春の宵
篠田・山路・工藤
 創立七十周年記念祝賀会に合わせ、私達十五期生も古希の会を、同日夕刻よりホテル内で開催いたしました。記録的な大雪の中、交通事情の為やむなく欠席の方数名。それでも頑張って七時間かけて来て下さった方などもおり、懐かしさと喜びの会となりました。
 恩師、黒川先生は米寿を迎えられお元気で御来席下さり、ダブルの祝宴となりました。楽しさの余韻が残り、二〇一五年五月には再び集合しましょうと気合が入りました。


16期(S39年卒)
元気な同期会開催



16期同期会

 平成26年10月11日に市川グランドホテルにて、卒業50周年第6回同期会を開催した。開催時間より1時間も前から多くの方がロビーで昔話に花を咲かせた。
 開会セレモニー後、松丸幹事の発声で乾杯、酔わないうちに集合記念写真を撮り、宴会に移った。流れの中でクラスごとに壇上で卒業50年を振り返りスピーチ、校歌ほか2曲を声高らかに全員で斉唱、大和田幹事の中締めで閉会。2年後の最下位を確認し終了した。
 「古希」を迎えた総勢56名の元気な元気な宴を楽しんだ。
代表幹事 黒岩 賢二

   紙面にて黒岩さんのお名前が抜けておりました。
   お詫びいたします。

25期(S48年卒)
還暦の同期会




 平成二十六年還暦を迎える二十五期。五年に一度の同期会(第五回)を開催。十月十八日(土)市川グランドホテル「黄金の間」に百三十名もの恩師と同期が 集い、華やかに親交を深めました。八クラス各テーブルの立食スタイルで、久しぶりの友や恩師と語らい、クラス、クラブでの集合写真撮影等和気あいあいの ムードの中、あっという間の二時間でした。二次会は笑笑にて、文化祭やフォークダンス、授業やクラブ活動の昔話にもう一花。楽しいひとときでした。遠方か ら参加の友、都合で参加できなかった友、更には逝去された友にも思いを致し、同期の絆を深めました。
 次回の五年後、さらにその先も、絆を深める同期会の継続を期待しています。
村越 由美



 
川鍋 充弘 先生

 日本が東京五輪に沸き立った五十年前。その翌年、川鍋光弘先生は社会科の教諭として赴任、昭和五十一年三月までの十一年間、主に世界史を担当されました。
 この時期は、卒業式答辞すり替え事件、浅間山の遭難事故、学園紛争、校舎移転問題などがありました。なかでも忘れられないのは浅間山の遭難事故だそうで す。山岳部の顧問として、遭難の一報を受けすぐに現地入りし、捜索に同行するも、生きて帰って欲しいという願いは叶いませんでした。凍りついた三人の亡骸 が、何本もつなげた古いスキー板に乗せられ下山した時の光景は、何年たっても忘れられないほどだそうです。

 生徒指導部長担当時は、喫煙、盗難問題等の解決を生徒会に投げかけ、生徒自身が規律を決めることを提案 されました。運動部の試合出場停止処分等を見据え検討し、生徒自身が決定すれば、たとえその事実があっても乗り越え、前向きになれると期待されたのです。 それが今でも全校討論会、規律委員会として、生徒会主導で行事が行われるもとになったそうです。
 その後、検見川高校で十六年教鞭をとり、退職後は、澁谷幕張校などで非常勤講師を永年勤められました。八十二歳の今も「子どもと教科書ちばネット二十一」の活動をされるなど、お元気に活躍されています。
 「国府台では、楽しかったなあ」「あの頃は、生徒と旅行をするのも自由で、よく遊び、おもしろかった」と振り返られ、今の高校生には「がり勉などせず、活発に自由にやりなさい」とにこやかに話される中「絶対に死ぬな!生き抜け!」と口調を強められました。


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