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国府台高校同窓会会報
WEB版
第33号
2013年(平成25年)11月15日

( 3 )

お元気ですか 牧 勇次郎 先生 
牧先生

 牧先生は石川県出身で小、中学校では野球、高校で柔道を学び、大学から東京に出て、柔道を続け四段の腕前でいらっしゃる。
 先生になられて4年目の昭和38年に本校に赴任、始めは葛南分校と本校と兼任、翌年から本校で教鞭をとられる。 当時、内藤校長が、やや軟弱に見える男子生徒を礼儀正しい、強い男子に育てようと、柔道、剣道に力をいれていた。 二階建ての70畳もある武道場があり、授業で柔道を教え、寒稽古も行い、 女子生徒には将来役に立つと受身も教えるなど柔道着を着た先生の印象が強い。 柔道の先生がフェンシングにかかわられたいきさつは、 昭和41年千葉国体を前に東葛飾高校にしかなかったフェンシング部を国府台に創設する役目を担い、 一から競技方法、ルール、練習法を学び、外部からコーチも招き夢中で取り組んだ。その結果 一年目に県大会優勝三年目に関東大会優勝、五年目に全国大会優勝と素晴らしい成績を残した。
 

 先生の目標は、日本一の選手やチームを一つ育てること。それが本校で陸上の快挙も含め、三つもかなう。
 国府台で七年、県立松戸高校で三年間の体育教諭を経て、その後県の教育庁の学校保健課に四年、学校建設室で8年、 たくさんの学校を作り、そのための作業は大変なものだったそうで、「いろいろな人と交渉していかないと、計画が進まない。 そんな苦労を重ねたことで、私もずいぶん、円くなった」と振りかえられる。 教頭先生になられて、東葛飾高校で二年、船橋法典高校で五年、その時に女子の重量挙げで日本一を出し、 そして市立船橋高校の校長先生での三年間に野球部やサッカー部、女子駅伝などで全国優勝を成し遂げ 「夢だった日本一を合計で12回も味わうことができ、幸運に恵まれた。私にできるのは環境を整えるなど、 先生方が仕事をしやすいようにする事。それが校長の役目」と笑顔で懐かしむ。
 そして平成7年4月から平成9年3月まで校長として本校に戻ってこられ、定年を迎えたあと国士舘中学、 高校の校長先生として三年間勤められた。
 今でも県のフェンシング協会の会長、日本フェンシング協会正会員、市川市体育協会監事など忙しくされている。
 同窓会を盛り立てるには、クラブのOB会がもっとしっかり繋がっていること。その輪をつなげていくことが大事と助言くださった。


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