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国府台高校同窓会会報
第32号
2013年(平成25年)2月15日

( 3 )

お元気ですか 
岡野 照 先生

岡野先生
 
 「今年、後期高齢者になったよ」と明るくお話しになる岡野照先生は、昭和38年4月から昭和50年3月まで12年間、 国府台で社会科の教鞭をとられた。 二十六歳で着任なされた時、一クラス55名で一学年11クラスものマンモス学年に驚かれたそうだ。
 車中泊のあった修学旅行の苦労話、野球部の顧問の時に江戸川の河川敷に練習場を造ったいきさつ、バレーボール顧問の頃、 部が大会で大活躍した事、話術研究部の思い出話など次から次に楽しく懐かしい話をしてくださった。
 特に先生が忘れられないことは、二回目の担任をなさった時(21期生の1年生)の浅間山遭難事故。痛恨の想いは今でも消えないとおっしゃる。
 その後県内の高校に転任され、さらに昭和51年〜55年までNHKのラジオ通信高校講座で「政治・経済」の講師も勤められ、 いろいろな状況で多くの人がラジオを聴いていることを知らされたそうだ。
 定年退職後は聖徳大学付属中学校長を5年間勤められた。
 10年前に奥様を亡くされ、先生自身も7年前に右眼の視神経を損傷され、医者に「右眼があなたの命を守ってくれたのですよ。」と教えられ、 治療を続けながらも、寝たきり生活にならないようにとSuicaをお供に出掛けることを心がけていらっしゃる。 上野に落語を聞きに行く事から始められ、ある時、東京の坂道歩きに興味を持たれ、なんと二十三区内の名前の付いた坂500ヶ所を一年半で歩かれたそうだ。 今でも坂道歩きや歴史散歩を続けておられる。また友人と 毎年11月には山中湖で、12月には東京で、富士山を眺める会を続けている。 夏の暑い時は名画館で古い映画を楽しまれることも。お部屋のカレンダーは予定がいっぱい書き込まれ、興味のアンテナをたくさん張り巡らしていらっしゃる。
 先生は「クラス会や同窓会だけでなく、たての繋がり(特に部活での繋がり)はもっと大事にし、いろいろな部のOB会に頑張って欲しい」とおっしゃる。


「ナイゲン」公演の御礼
 卒業生の劇団アガリスクエンターテイメントでは、 国府台高校をモデルにした『ナイゲン』という公演を上演致しました。
 ナイゲンとは「内容限定会議」の略称で、鴻陵祭の発表内容を決める為の会議です。 これをコメディとして上演したところ、若い卒業生から卒業後二十年以上経った方、現役の国府台生まで、 多くの鴻陵生が口コミやインターネット上の評判などで知って足を運んで下さいました。
 コメディとして楽しんで頂けただけでなく、皆様に学生時代や国府台高校に思いを馳せて頂けたようで大変嬉しく思います。 ご来場頂いたお客様、応援して頂いた皆様に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
アガリスクエンターテイメント主宰  冨坂 友
56期(H16年卒)
ナイゲン

おれたち鴻陵族
二世代鴻陵夫婦
 鴻陵生どうしで結婚されたカップルは何組くらいあるのでしょう?(何組も知っています)。 兄弟あるいは家族全員が鴻陵生、という方も珍しくはありません。我が家もそんな鴻陵夫婦そして鴻陵家族。 21期+25期夫婦の長女は54期、長男は56期、次男は58期と5人の家族全員が同じ校歌を歌える鴻陵生です。
 私自身は弟2人と妹の4人兄弟で、弟の片方は27期、妹は29期。一人を除き鴻陵兄弟(妹)でもあります。 その妹はバレー部でOBコーチ(21期=私と同期)と結婚し、兄妹二組が鴻陵夫婦で、高校の同期生が今は義理の兄弟。 正月などの親族の集まりは、私の家族に加え弟、妹夫婦の計8人の鴻陵生が顔を揃 え、共通の知り合いや先生方、OB会などの情報が飛び交うミニ同窓会状態です。
 そんな我が家に、一昨年、娘が一人の青年を連れて来ました。塾のアルバイトで知り合ったという彼はなんと鴻陵54期!! 在学中はお互いにあまり知らない存在であったとか。
 「卓袱台をひっくり返して反対されるんじゃないかと(笑)」などという鴻陵OBらしい冗談の言える好青年は、昨年、一族9人めの鴻陵生になりました。 妻は同期、義理の弟達は後輩であるのはまだ良いとして、叔父(二人)や叔母や義理の両親までも先輩。 さて、「二世代鴻陵夫婦」。婿どのの気分はどのような?
風間 健典
21期(44年卒)

輝いていた青春
 昨年パソコンを使用している時、ふと思いついて国府台高校を探してみました。 関西に来て20年以上になり、一昨年には退職して過去を振り返る機会も出てきたのに連絡する資料もなく困っていた時でした。 便利なものですぐに返事があり、2ヶ月後には所属していた元ラグビー部のメンバーに再会する事も出来ました。
 高校時代は私には特別な時代で、頭の中で今だに明るく輝いています。 部活に一所懸命で、授業中に寝、夏の日盛りのグランドを汗をかきながら走り回っている青春物ドラマのイメージです。 優秀な選手という訳ではありませんでしたが、とにかく走り回ることが好きで、快感でした。 これ以来スポーツが私の「癒し」になり、働くこと、子育ての原動力になったように思います。 また退職してからもまだトライアスロン、スキー、登山を生きがいとして続けていますが、その原点は高校時代のラグビーだと思って感謝しています。
 再会した元ラグビー部員と久し振りに会話して思ったのは、人間てほとんど変わらないな、ということです。 話す内容は高校時代の事、卒業後の事半々ですが、話しぶり、仕草が昔のままでした。皆それなりに苦労を重ね、病に悩んだ経験を積みながら、いい年齢の重ね方をされているようで、それがとても嬉しかった。 それまで30年間も青春時代の話をしていなかったのですが、数時間の会話で心の空白部分が埋まったように感じました。万歳第二の青春て感じです。
多田 光
21期(S44年卒)


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