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国府台高校同窓会会報
第30号
2011年(平成22年)2月15日

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お元気ですか 
大木 忠郎 先生

大木先生
 
 大木先生は、昭和三十八年四月から四十七年三月まで九年間国府台高校で英語を教えておられた。
 大学卒業後、会社員を二年経験してから教員となり、国府台は三校目となる。
 「リヴェラルな学校で、生徒達とよく遊び楽しかった」とおっしゃるように、先生と言うとフォークダンスを思い出す。先生が赴任された頃は、校内で行事の 度に盛んに行われていたが、体育の野原史子先生と新しいダンスを生徒の前で踊って見せるなど、積極的に定期テスト後や鴻陵祭で広められた。テネシーワルツ やファシネーションワルツ、ハバナキラ等、高度なダンスも披露されていた。
 また、新館建設の際に当時の内藤校長と英語科主任の越田平八郎先生の企画で、県内で初めて(普通科高校では全国最初)となるLL教室を作り、その教材づくりに尽力され、全国から集まる多くの見学者のための、案内用のテープを作るなど苦心された。
 その後、船橋、成田西と転任し、ニュージーランドでの日本語教師を一年経験、日本語教育の教材作りもされた。五十八歳で聖徳大学付属高校に呼ばれ、短 大、大学の非常勤講師を経て現在は、オープンアカデミーで週に七講座を担当されている。英語会話がほとんどだが、ハーモニカ入門講座もあり生徒も多く人気 を集めている。
 背筋の伸びたお姿から、八十一歳とは思えないほどお元気なことに驚かされる。なんと国府台高校時代は、自宅のある成田から国府台まで毎日バイクで通って いたと言う。今まで大病もせずお元気なのは、その時に鍛えられた体力のお陰だろうか。リタイアという言葉とは縁がないようで、今でも夜遅くまで教材準備を され、教えることにストレスもなく疲れないのだそうだ。
 今の高校生に伝えたいことは、「誰にも沢山の可能性があるのだから、失敗を恐れずチャレンジしてほしい。間違ったら方向転換し何度でも挑戦すること。自 分に向いている仕事を探すのは簡単ではない。何が自分に向いているのか、自分発見の為に何でもやってみたら良い。」とのこと。
これからもますますお元気に、十九年目となる大人向けの授業を続けていただきたい。



祝! 3期会 会報50号
3期会 我が同窓会には複数の同期会があり、それぞれ独自の活動をしています。今回は三期会の紹介です。
 三期会は、昭和三十九年秋に気のあった仲間十人ほどが集り、翌四十年に第一回総会が開催されました。     
発足当時から参加されている荒川昇治朗氏、皆藤光男氏、戸枝輝生氏からお話を聞くことが出来ました。
四十二年に会報初刊を発刊し、途中途切れることなく今日まで続き、来年にはなんと五十号に達することになったのです。当初は年二回、現在は年一回の発行と なっていまが、同期会がこれほど長く会報を発行し続けることは珍しいのではないかと思い、その秘訣をお伺いするために、集まっていただきました。
お三方は声を揃えておっしゃいます。まずは集まる場所があり(戸枝さんが事務所の一部屋を提供)交流がたやすくできた、原稿を依頼するとすぐに書いてくれる人がいた、名簿を整備して大勢の同期生に送ることが出来た、そして会員から徴収した会費は明朗会計である、との事。
会報発行の際四十三号までは広告を掲載していて、件数を合計すると二百三十八件、広告料は合計二百三十六万円に上ったそうです。そして、会費は、始め年会費で現在は終身会費。この先も会報発行は安心だそうです。
 また、三行会(旅行)、三水会(俳句)、野球部、ボーリング部、ゴルフ部、麻雀部、囲碁部などの交流部会があり、会員だけでなく友人や家族も巻き込んで楽しんでいるそうです。三水会は句集の発行もしました。
昨年(平成二十二年)には、喜寿を祝う会を開催し、お互いの健康を喜び合い米寿に向って一年一年爆発して生きていこうと、健康志向を確認しあったそうです。
若々しく生き生きとして、和気藹々の三期会は羨ましい限り。益々の繁栄をお祈りいたします。


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