第28号 2009年(平成21年)2月15日 ( 2 〜 3 ) |
ポスト | 同窓会・クラス会・部活OB会..... やった、やるよ、やりたいな。報告、告知のミニレター |
35期(S58年卒)3組 新たな始まり 第35期3組(近藤健男先生)のクラス会が平成20年11月15日(土)に行われました。 場所は東京・南青山のブルーブラック・ギャラリー&カフェ。出席者は近藤先生、男子17人、女子7人の計25名が集まりました。 この日は近藤先生の還暦の誕生日だったこともあり、準備段階から幹事中心に様々な企画を考え、当日を迎えました。 今回のクラス会のコンセプト“25年振りの鴻陵祭♪”をもとに次の企画を行い、大いに盛り上がりました。 ・ DVD上映(在学当時の様々な写真と、最近の国府台周辺をロケした映像によるショートムービー) ・合唱祭の再演(バンド演奏による、当時の合唱曲の再演) 私たちのクラスは卒業以来25年振りに会う旧友も多く、当時を懐かしんだり、近況を報告しあったり、話はいつまでも尽きず、最後に解散したのは始発電車が動き出す翌朝の5時過ぎでした。 でも今なぜクラス会なのでしょうか???私たちは今43〜4歳という年齢になりました。 皆それぞれ家庭や職場の中で色々なものを背負って、頑張って毎日を生きています。クラス会の後に多くの人が『みんなに元気をもらった』『明日からまた頑張ろう!と思った』との感想を述べていました。 そう、クラス会とは単に過去を懐かしむだけのものではなく、いま正に『クラスメートみんなも自分と同じように頑張っている』という心のつながり、心の支え、心強さなのだと思います。 もちろん今は住んでいる場所や職場や家庭環境の違いから、頻繁に会える訳ではありませんが、それでも少人数で忘年会を計画したり、バンドを再結成したり、過去形ではない新たな関係が始まりつつあります。 国府台で良かった!ウチのクラス最高!♪ 山本 喜直
|
36期(S59年卒) 二年後にまた会いましょう さる9月27日、東京の八重洲で、第36期同期会を開催しました。その際、幹事をさせていただきました。高校の教員をしています。昨年の4月、勤務先 で国府台の同級生の子弟何人かと出会ったことをきっかけに、音信のなかった同級生と連絡をとることができ、今回の会へとつながったのです。 同級生との連絡について、卒業アルバムの名簿録では心もとないとの頭があったものの、ホームページで告知をして電子メールで連絡をとりながら伝えていけば、口コミでどんどんつながっていくだろうと、当初は楽観的でした。 ところが、インターネットや電子メールは手軽で便利ですが、相手の顔が見えにくいという側面があることを痛感しました。連絡自体はついているようなので すが、「参加します」という返事がなかなか増えません。指定口座への振り込みを参加の最終的な認定方法にしたことも原因だったのかもしれません。変な詐欺 も横行していますから、私のことをよく知っていてすぐに反応してくれた人たち以外は、しばらく静観していたようでした。 大きな突破口となったのは、同窓会の仕事をしている方と出会えたことでした。同窓会報の郵送で使用している住所情報を活用させていただいて、多くの同級 生にはがきによる連絡ができました。やはり、郵便での連絡のほうが信頼感があるようで、たくさんの参加者を募ることができました。 最終的には70名弱の参加をいただきました。会場では「顔をみても誰だか分らない」というふうに言う人もいました。ここで卒業アルバムを持って行くとい う当日朝のひらめきが功を奏しました。一冊のアルバムでみんなが思い出話に花を咲かせ、一つ一つ記憶の穴埋めをしていたように思います。 準備にかけた半年あまり、参加者が思うように増えず精神的につらい時期もありました。しかし、会場の盛り上がりを見て「やって本当に良かった」と思いま した。あまりにもうれしくて、「2年後にまた会いましょう」なんて口を滑らせてしまい、また幹事をすることになってしまいました。でも次はもう少し楽か な?2年後が今から楽しみです。 遠藤 宏至
|
チーム鴻陵 選手募集中 昭和62年3月卒陸上部OBは現在「チーム鴻陵」として活動中。事の始まりは平成17年秋、船橋市内路上における二人のOBの偶然の再会から。 残る二人も幸い近くに居住しており早速、仲・石原・斎藤・宮下の四人が全員集合。アスリート魂に火がつき翌平成18年冬からは、 たまりバネ頼みで市民駅伝に出場、なんと3位の好記録。 以降、荒川駅伝・市川市民陸上競技選手権など年3回の出場ペースです。 選手募集中、連絡お待ちしています。 石原 基成
39期(S62年卒) |
34期(S57年卒)6組 ロング同窓会 |
去る平成20年5月25日に10年振りに34期(S57年卒)3年6組の同窓会を開きました。クラメートの約六割に連絡が付き、集まったのは20名。恩師 丸藤先生を囲んで互いの近況報告に始まり、参加者が持ち寄った懐かしい写真で思い出話に花が咲き7時間に及ぶ超ロング同窓会になりました。 藤沼 敏弘
|
Aga-risk Entertainment 気軽にコメディを アガリスクエンターテイメントは、コメディの演劇公演を中心に、アニメーション等のWEB配信などをしている、卒業生を中心とした団体です。 2005年夏に鴻陵祭での演劇経験者が学年・クラスの垣根を越えて集まり結成、近郊在住の他校卒業生も交えて活動しています。 昨年8月には第2回シアターグリーン学生芸術祭参加団体に選抜され、10月には母校PTAに招致され、母校小体育館にて文化祭の片付けにまつわるコメディの公演を行いました。 その他、文化祭前の会議を舞台にしたコメディ「ナイゲン」や、お化け屋敷の舞台裏を舞台にしたコメディ「ゴーストアクターズ」など、一 風変わったシチュエーションを舞台にした、誰もが笑えて気軽に見られる作品を上演しています。 2009年の3月6〜8日には、JR新浦安駅近く浦安市民プラザWave101にて第9回公演を行います。宜しければご来場下さい。 詳しくは公式サイト(http://www.agarisk.com)をご覧下さい。
冨坂 友
56期(H16年卒) |
平成20年11月4日6時半から、市川市文化会館大ホールで、日独交歓のジョイントコンサートが開催された。 このコンサートを主催した「国府台混声合唱団とその仲間たち」は、国府台高校の卒業生を注進に指揮者を12期の押塚さん、団長を9期の柴田さんが務める合唱団である。 平成11年にベルリングロピウス青少年合唱団と交流演奏会を市川市民会館で開いて以来、合唱を通してドイツと市川の市民レベルでの国際交流 を育んでいた。 4年前に初めてドイツを訪問したが、今年の夏二度目の訪問をし、各地で合唱団やオーケストラとジョイントコンサートを行って来た。 今回のコンサートは、市川市、市川市合唱連盟をはじめ各方面の協力を得て、ドイツのコレギウム・ノリクム・ニュルンベルク合唱団&同管弦楽団を招いて開催された。 それぞれの合唱団の歌に続いて管弦楽団によるモーツァルトの「ピアノ四重奏曲ト短調K478より第一楽章」が演奏された。 締めくくりには総員が加わってベートーベンの「ミサ曲(作品86)」が披露された。 6時の開場を待つ人々の長い列ができるほどで、会場は満席、拍手が鳴り止まない大盛況であった。 |
江間 實 先生 |
|
江間先生は大学卒業後、行徳中、三中、一中を経て31歳で国府台に赴任され、昭和38年から49年まで11年間、生物の先生として教鞭をとられた。
国府台での初仕事は葛南での新設校の準備だった。分校はそれまで借りていた南行徳中が、隣の行徳中と合併して七中となり移転した為、南行徳中を改築して3クラスの新設校を創った。しかし認可されず、翌年生徒と共に、本校に移り、二年生が11クラスの大所帯となった。 生物部、テニス部の顧問を担当し、アイディアマンの内藤校長との数々のエピソード、生徒と校庭を掘ってテニスコートを造ったこと、認可されなかった新設校の保護者会で余ったお金を託され吹奏楽部を創ったこと等次々と楽しい話があふれてくる。 「私の人生は波乱万丈だね。」と先生は懐かしむ。旧制中学の時、中山に住んでいた元早稲田大学総長の村井資長さんとの縁で、書生として畑仕事の手伝いをしながら学校に通い、大学時代はアルバイトでアメリカ人の家に車の送迎付で、手伝いに行ったことから多くを学んだり、また教師となって赴任先の校長先生が蘭 の大家だったことから蘭を育てるきっかけとなるなど、多くの方との出会いや縁を大事にしてこられた。 文部省の海外高校視察に、県の代表として参加し、仲間とは今でも年一度旧交を温めている。 先生は現在、市川市体育協会ソフトテニス連盟顧問、全日本蘭協会理事、自治会長を務め、自治会長は九年目。社会福祉、高齢者福祉、地域福祉の審議員として答申つくりをする等、ますますお元気に活躍されている。 今の高校生には、「好きなことを仕事にできる人は、ほんの一握り。そうでなければ、生きるために、我慢して働くことも大事と伝えたい。」 言論の自由というが、「自分の言うことには責任を持つこと」を伝えたいとおっしゃる。 |
母校の思い出 卒業して35年の歳月が流れました。現在は、母校の書道科担当教諭として勤務しています。在学中とは校舎の様子もかなり違っていて、懐かしい木造校舎や体育館、講堂等は既に無く、書道教室も当時LL教室があった場所に移っていました。 在学中書道部に入部し、その後も大学の書道科に進学し千葉県の書道教員として奉職する事ができましたので、「書道」一筋の道を歩んで来た事になります。 母校は私の進路を決定してくれたまさに“母”なる存在です。当時書道を担当されていたのは、小倉欣也先生でした。 お習字を続けていた私を「書道」の世界に導いてくださって、進学に至るまで、また、その後の歩みにまで懇切にご指導をいただいた先生です。 私の他にも先生のご指導によって書道の世界を目指し、歩んでいる多数の卒業生があります。心から先生と母校に感謝している仲間です。 館 和人
22期(S45年卒) |
私の金メダル 国府台高校を卒業してもう10年以上になってしまいましたが、私にとって学生時代とは、国府台生だったあの頃です。 高校三年間、私は演劇部で活動していました。当時、部員は少なく総勢でも両手では余るほどの人数でした。役者、照明、音響、小道具、大道具、演出。一回 の公演を行うにも人手が足りず、役者をやりながら小道具はもちろん、ハンダゴテを使って配線、工具を使ってハリボテの組み立てなど大道具の仕事まで何でも こなしていました。 自由な校風も相まって、時には意見の食い違いから衝突もしますが、私たちは誰もが真剣に議論し合い、「公演を成功させる」というひとつの目標に向かって 全力疾走していました。私は三年間で、これという賞を得ることはありませんでしたが、今思えば目標達成への真剣さと情熱、仲間同士の信頼は、誰にも負けな い金メダルとしてあの頃の私たちの胸に光っていたのかも知れません。 あの三年間を、私が今でも輝きを失わずに思い出すことができるのは、何よりも現在の私があの三年間を礎に出来上がっているからだと思うのです。「何事に も真剣に情熱と信頼を持って向き合う」今、私が大切に守っているライフスタイルの源は、まさにまさに学生時代に築き上げられた物なのです。 今も自由な校風はそのままでしょうか。国府台生にはこの国府台で、自由に自分の源を見つけ、人生の礎を築いてほしいと願っています。 石井美紀子
50期(H10年卒) |
平成二十年三月に転出された先生方を、お知らせします。 校長 北島一雄(退職) 数学 村岡芳行(市立松戸教頭) 数学 鈴木康裕(鎌ヶ谷) 英語 小野詠子(市川工業) 養護 平野真弓(松戸南 定時制) 事務 土屋光正(流山事務長) 事務 岡崎和義(葛南教育事務所) |