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国府台高校同窓会会報
第26号
2006年(平成18年)12月10日

( 2 〜 3 )

ミニレター 同窓会・クラス会・部活OB会.....
やった、やるよ、やりたいな。報告、予定のミニレター

14期 関川クラス14期(S37年卒)
44年ぶりの母校


 平成18年4月9日午後3時より4組(関川先生)のクラス会を市川駅近くの市川グランドホテルで17人が出席して行いました。前回の浜松町以来2年4か月ぶりです。
 今回は母校近くでのクラス会なので、是非学校に立ち寄ろうと訪問の計画を立てました。
 当日、12時30分母校正門前に集合し、記念写真を撮影、44年ぶりに校庭に入り、高校時代を思い出して感無量でした。その足で、桜満開で大賑わいの里 見公園に行きました。「あそこに夜泣き石があったはずだ」「あのラーメン屋はどこだっけ」など当時を振り返り、楽しい限りでした。
 引き続き、徒歩で真間山のしだれ桜、手児奈堂を廻り午後3時にクラス会会場の市川グランドホテルに到着して宴会となりました。
 今回は、関川先生の都合がつかず残念でしたが、先生の分まで盛り上がりました。和気あいあいの中、各人の近況を報告しあい、楽しいひと時を過ごしました。そして再会を約束し、校歌を合唱して閉会としました。
 次回からは年一回市川周辺で行いますので、是非参加してください。
竹内功


14期(S37年卒)
恩師や級友を偲んで

14期若尾クラス
 14期卒業生は、平成15年秋に「還暦記念の同期会」を行いましたが、それ以来2年ぶりに平成18年春「若尾クラス」のクラス会を行いました。前年の11月に若尾慎二郎先生が亡くなられ、クラスメイト2名も他界されたため、追悼クラス会となりました。
 先生は晩年八ヶ岳の別荘で高地栽培の実験と称し、ジャガイモ、トマト、カボチャなどを植え、野生の鹿などによる被害に日々奮闘されながら、野菜づくりに情熱を傾けておられましたが、突然の訃報に驚いてしまいました。
 クラス会では先生や亡くなられたクラスメイトを偲びつつ、健康のことなどが話題となり、次回も元気に再会できることを誓いながらの散会となりました。
柳脩一郎


20期(S43年卒)
再会・感激!


 同期生3人で、旅行をしました。行き先は仙台。同期生二人が待っています。一人には卒業以来の再会です。ドキドキ、ワクワクでしたが、会ってしまえばま るで昨日のことのように、次から次から想い出が甦り、在学当時より親しげに話が盛り上がります。5人で名所を訪ねたりもしました。
 同窓っていいものですね。同窓には不思議な暖かさがあります。今回の旅ではそれを身をもって感じました。
流川呉生
20期


17期(S40年卒)
二度目の同期会は還暦祝い


 第一回同期会を開催して十二年たち、今回は自分達で自分達にご褒美をと「還暦祝い」を開催しました。
 平成18年10月28日(土)市川の山崎厚生年金会館で、75名の出席を得て行いました。
17期  恩師も同期の仲間でも旅立たれた方もおられましたが、4組高浦先生、5組渡辺先生、6組高原先生がご出席くださいました。「どちらが先生?」と、疑いたく なるようなおじさんたちもおりまして、出席の先生方のお若く、かつ年齢を重ねた風格にあらためて敬意を表しました。日々しっかり回転させていらっしゃる脳 細胞を垣間見て、これからもずっと人生の師でいてくださるよう願いました。
 少年老いやすくハゲなりやすし、一本の毛たりとも軽んずべからず、ではありませんが、目尻のしわもお腹のたるみもいとおしくさえ感ずるこの頃、12年ぶ り、あるいは40年ぶりの対面に誰だかわからず迷う一瞬もあったようです。が、そこは同じ釜の飯を食った仲間、あっという間に気分は高校生。あの時は言え なかった本当の話・愛の告白(!)等もあり、「それを聞いていれば高校生活はもっとバラ色だった」とか…
 前回の同期会は、二次会と同時にカラオケが飛び出し、女性パワーの炸裂を感じたものでしたが、12年もたつと昔語りにお互い相槌をうつような、なごやかな会でした。
 しかしながら、現実は親の介護と向かい合っている仲間が多く、そこに自分の老いを重ね「誰に迷惑をかけることなく死ぬことにしよう」と話を結び、次の同期会を楽しみに散会しました。
 次回の報告は5年後に…
藤代 弥栄子


16期16期(S39年卒)
還暦会「2005年の想い出」


 平成17年10月22日、第16期生の還暦会行事をJR市川駅前の市川グランドホテル7階全フロアを借り切って開催しました。
 振り返ってみると、5月中旬より各クラスから推薦された実行委員とのミーティングを重ねて基本計画を策定し、所在不明者の情報収集、会場選定、案内状作成、発送等々てんてこ舞いの忙しさでした。
 全委員のやる気が最大パワーを生み出し、母校訪問ツアー、想い出ゾーンのクラス展示、江戸手打ち蕎麦の実演、オリジナルTシャツ製作、新聞還暦特集号の 発行、還暦記念誌「2005年の想い出」の発刊と、次々に新しい企画を実現することができました。祝宴には全国から87名の仲間たちがはせ参じて懐かしい 想い出話に花を咲かせました。恩師の西本敏郎先生(76歳)、松本健先生(73歳)、五関善四郎先生(79歳)もお祝いに駆けつけてくださいました。
16期花束贈呈  「第一部 懐かしの母校訪問ツアー」は、通学路の散策や校内見学等、しばし42年前にタイムトリップしました。
 「第二部 還暦会祝宴」では、クラス間の交流をより図れるよう野点風縁台仕立ての会場構成で和やかな雰囲気の中、還暦会にふさわしい、明るく華やかな盛 り上がりとなりました。江戸風手打ち長寿蕎麦の実演コーナーでは、「挽きたて、打ちたて、茹でたて」の蕎麦の味を堪能できて、大好評でした。
 数々のアトラクションの最後に参加者全員で懐かしい校歌を大合唱して、祝宴は名残を惜しみながらの散会となりました。日頃、顔を合わせる機会の少ない同窓生と、ともに還暦を祝うことができて喜ばしい限りでした。
 還暦会を開催するにあたり、北島校長先生、牛口教頭先生、澤田鴻陵会会長他、多くの方々のご支援とご協力をいただきましたことに感謝し、お礼を申し上げます。
 皆様の益々のご健康を願いつつ…
井上和彦


ジョイントコーラス in 2006
 2006年7月9日(日)市川市文化会館で、コーラスグループのジョイント公演が行われた。合唱協会の数あるグループから、国府台混声合唱団をはじめ五つの団体が参加して行われた。
国府台混声合唱団
 国府台混声合唱団は、団長柴田忠(9期)指揮押塚登貴夫(12期)の各氏を中心に、同窓生を主体とする40名で参加した。
 曲目は「野辺にうたわん」「エホバはわが牧者」などドイツ民謡、シューベルトを中心とした選曲で美しいハーモニーで聴衆を魅了していた。女性メンバーの ドレスのセンスの良さとともに参加グループの中では、抜群の歌唱力に、大きな拍手を送られていた。最後に押塚氏の指揮で「夏の思い出」を全員で合唱し盛会 の内に公演は終了した。
 ハーモニーの美しさはその優しさ、暖かさで心を癒してくれる。そして新しい力を与えてくれるものだと思う。これからも国府台混声合唱団の活躍を期待している。

想い出
弾んでいた3年間
 還暦を過ぎても、あの時代の楽しかった思い出が甦ります。
 演劇部での練習の明け暮れ、日曜日はないほうが良いのにと思っていた頃でした。文化祭が近づくと、先輩後輩なく、声を振り絞りダメ押しの猛練習。芝居を一つ作り上げる中で、一人一人が個性をぶつけ合い、お互いの心の影響をとても意識した時でもありました。
 また、友人たちの授業をサボる自慢話に、ならばとある日、わたしも仲の良い友人と川口先生の授業で決行。部室に入り込んだのですが、何も手につかず時間の経つのが長いこと。ひたすら終わりのベルが鳴るのを待ちました。次の授業ではあの先生のあの目でギロリ。
 自由な校風のなかでのんびり過ごした日々、それがわたしの原風景のひとつでもあります。
 同窓とはその後のさまざまな体験を持ちながら、何と言う優しさと安心の響きを誰もが感じる集まりなのでしょう。新しい卒業生もきっと、月日が経ち、この嬉しさ懐かしさをたっぷりと味わう時が来ることでしょう。国府台高校、永遠なれ。
工藤愛子
15期(S38年卒)

思い出の修学旅行
 昭和24年4月に市川市立高等女学校が廃校となり、現在の県立国府台高等学校の前身である市川市立中学校に統合されました。
 4年間を女の園で学んだ私たちが、男子生徒の中に入るのです。先生は勿論、親たちの心配は大変なものだったようです。共学を危ぶむ親たちが転校を望み、多数のクラスメイトがいなくなりました。
 ある日、思いもよらなかった二泊三日の修学旅行が発表になりました。当時二泊の修学旅行をしていた学校はなかったようです。衣食住いずれもこと欠く時で すから夢のような計画でした。多くの文化に触れてよい思い出を作らせてやりたいと、内藤校長先生が関係筋に強力な説得をしてくださったと聞きました。
 しかし、せっかくの修学旅行でしたが男女別々の行動となりました。夜行の臨時列車に、車両を変えて男子と女子が乗車し、まず男子が京都で下車、女子は奈 良まで直行します。それぞれがその地で観光し一泊します。次の日は逆になるという計画でした。生徒会ではなんとか一緒に行かせてほしいと先生にお願いした のですが、希望は叶いませんでした。それでも皆胸を躍らせて、宿に持っていくためお米を二つの袋に詰めて出かけました。
 女子が奈良の文化財やすばらしい景色に感動した一日を過し、翌朝京都に向かう列車に乗っていると、男子を乗せた列車が入ってきました。男子の京都見学は バスの故障で歩くことになり散々だったそうです。女子は木炭バスで京都の文化財を次々と訪れ、その偉業と文化を誇りに感じたものでした。三日目は大阪に向 かい、奈良からの男子と合流、大阪城や道頓堀に足をのばし、又また別々の車両で無事に帰ってまいりました。
 あの日から50年余り経った今でも、同窓生が集まると、その時の様子が語られ、懐かしさを深めながら当時を偲んでおります。その一コマをご紹介いたしましょう。
・列車の中で
 酒屋の息子S君は水筒に酒を入れて持ってきていました。どうも事前に相談していた模様です。まわし飲みをしている所に、O先生が来て「君たち、何を飲ん でいるんだ」「先生、これ酔い止めの薬です。先生も飲んだ方がいいですよ」「そうか、それじゃあもらおうか」あたりは酒の臭いがぷんぷん。にやにやしなが らO先生は一口飲んで「ずいぶん苦い薬だな、もらっていくよ」と酒はあっさり没収されてしまったとか。
 厳しく叱るより、その芽を適切に摘んだO先生。生徒に慕われた教師でありました。ともあれ、男子が酒を持参するなど、女子には思いもよらないことでした。あの時の先生の心配も「さもあらん」と今にして思う懐かしい思い出です。
水野幸子
4期(S27年卒)


お元気ですか 高浦 民男 先生
高浦先生
 
 高浦先生は昭和25年に新卒で国府台高校に赴任され3年間英語の先生として在職、その後市原高校に9年間在職、そして再び国府台高校へ戻り、54年まで17年間在職、演劇部やギター部の顧問もされていた。
 初めての教師生活の国府台高校はとても自由で楽しかった。生徒たちも学校生活で自由を楽しんでいたが、先生も生徒も新しい時代への上昇志向を持ち、何事 も一生懸命だった。先生達は職員会議でも自分の考えを自由に話し合い、生徒達も自由の中でもそれなりに勉強し学力もあったと述懐された。
 再び国府台高校に戻ってきた時は、学校全体の雰囲気はだいぶ変わっていたが、自由の空気は残されていたと言われた。昨今では、自由の校風を持つ学校が少 なくなったと言われているが、先生は自主自律の心は大切だと言われる。しかし、自由に流されることなく自分を失わず、目標に向かって学習を頑張り、生活を 正すことも大切だと言われる。
 国府台高校の後、船橋二和高校に移られた先生はそこで肋骨が部分的に変形し痛むという奇病に襲われ、定年前(56歳)に退職された。十数年かけて病を克 服されたが、その後胆石症で手術、70歳になってまもなく、階段から落ちる事故で首の骨を折る大怪我で手術を受け、70日余り入院、その後のリハビリを経 て回復されたとのこと。
 現在は、そんな大病をされたとは思えないほどお元気。毎日の散歩や俳句を楽しまれ、月一回の句会やその後のお仲間との酒盛りも楽しいとのこと。また、月に一回ほど奥様と新劇などを観に東京へ出かけられるそうだ。
 何事も自分の内側へ取り込むだけでなく外へ向けて働きかける生活をしないと脳は活性化しないと、静かな中でも前向きの生き方をされていることに感心させられた。
 ちょっとおしゃれで、物静かな笑顔は今もそのままで、若々しい先生だった。

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