第 7 章

「移転問題」

1970年代

「移転」とは、ごくごく大雑把にいうと、『和洋の国分校地 (現在の和洋中学校)と現在の校地を交換し、移転する』という構想でした。
 そもそも「構想」の出所が学校外部だったことをはじめ、'70年代になって構想が公になった時点ですでに一部土地は買収が進められていたなど不明朗な部分が多く、該当の土地が国分尼寺の遺構であることも手伝い、利権絡みかと憶測を呼ぶなどして問題化しました。

 1974年9月の千葉県議会では、買収関連費用9億円を計上した補正予算が成立、移転は本決まりかに見えました。
 しかし同年11月以降、生徒会の移転反対決議、「事実上移転は不可能」という調査結果を元にした職員の反対決議、翌年7月のPTAの反対決議が続々と行われました。
 その後は署名活動、数度にわたる関係各方面への陳情・請願がおこなわれました。県側から明解な回答は出されず、移転問題は宙に浮いたまま数年が経過しました。
 

1974年の学校要覧掲載の写真
 
 移転問題を抱えたこの時代、当然ながら現校地での新築や大きな増改築は行われませんでした。著しい危険や老朽化といった理由から、鉄製窓枠のアルミサッシへの交換や、体育館の床の張り替え等が行われた程度でした。

 昭和53年(1978年)、正面玄関上部に『校章』が取り付けられました。
(校舎の改築にともない、現在は体育館に設置されています)


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制作-著作 国府台高等学校同窓会
参考資料:国府台高等学校『創立40周年記念誌』