第 6 章

「螺旋階段」「青空廊下」


 昭和37年(1962年)11月、第2校舎・渡り廊下の建築が開始され、昭和38年(1963年)11月竣工しました。

螺旋階段
 1階の出入口が現在とは違っていました。
第2校舎

現在の本館ができるまで「新館」と呼ばれていました。
わかりにくいですが、窓はアルミサッシではなく鉄枠でした。

手前に(旧)青空廊下の手すりが見えています。

 
 
 
 鉄筋の渡り廊下があったのは校庭側だけで、県道側渡り廊下はコンクリートのたたきに木製の簀の子が並べられ、瓦葺きの屋根がかけられていました。
 現在、渡り廊下と接続している部分は1階が購買部、2階が数学準備室、3階が社会科準備室でした。
渡り廊下

 1階は「渡り廊下」と呼ばれ、生徒昇降口がはり出していました。

 2階は「ギャラリー」と呼ばれ、そのようにも使用されました。

 3階(屋上)は、いつの頃からか「青空廊下」と呼ばれるようになりました。
 昔もいまも、鴻陵祭を締めくくるファイヤーストームを見物するにはこれ以上の場所はないようです。


 
 「新館」建築中の昭和38年(1963年)6月、本校は県のLL研究指定校となりました。
 同じ頃、江戸川の河川敷を運動場として使用する許可がおり、「第2運動場」として9月から使用を開始、11月には開設式が行われました。
「開設当時の地図」は入手できず、「江戸川新堤防完成後の地図」では周囲の地形からグランドの位置を割り出せず、中途半端な資料ですが、だいたいの位置は理解していただけると思います。
 LL教室は新館4階の一室を使用する事になり、昭和39年(1964年)1月から2月にかけて工事が行われ、県内の高校では初めて、全国的に見ても数少ないLL施設が完成しました。
 昭和42年(1967年)9月、現在とほぼ同じ場所に弓道場が完成しました。
弓道場完成時の平面図

 
 

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制作-著作 国府台高等学校同窓会
参考資料:国府台高等学校『創立40周年記念誌』