第 2 章

「兵者どものゆめのあと」

昭和20年代 旧兵舎の改修整備

 昭和20年代は、小は各教室の窓枠の補修から大は校舎・講堂の移築・新築といった工事が続けられました。
 ただでさえ全く使用目的の異なる兵舎から校舎への転用は容易なことではありません。
 明治時代に建てられた兵舎は戦中戦後の物資の不足等もあり、簡単に手を加えて校舎として使用するという訳には行かなかったようです。

 昭和25年(1950年)の県移管を契機に、学校に相応しい施設を整備するための努力が本格化しました。
 大工の岩田与作氏が職員として勤務し、校内の設備の修改築等にあたる事になりました。
 それまで簡単な間仕切りだけで教室としていましたが、4月中に天井板を張る普請に着工したと記録にあります。
教室内の様子

 教室のまん中に柱が立っているのは兵舎だった名残りです。
 分りにくいですが、壁は板張りです。

 昭和26年(1951年)4月、南行徳中学校の一角を借りて、葛南分校が開校しました。
 
葛南分校については、校舎のみならず分校の歴史そのものについて、
機会をあらためて紹介したいと思います。
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 昭和27年度中に国有財産だった「旧兵舎」の払下処分が決まり、校舎の改修・整備もいよいよ抜本的なものになりました。
 9月から翌年の6月にかけ、手ぜまになった校地を少しでも有効に利用するため、校舎の移築工事が行われました。
資料が少ないため、詳細は不明です。

「本 館」 校長室、職員室 など
「第1校舎」 家庭科教室、図書室など
「第2校舎」 普通教室
「第3校舎」 理科教室
解体(崩壊?)寸前の旧砲廠

さすがにこれ以上の使用は無理だったようです。

 

 

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制作-著作 国府台高等学校同窓会
参考資料:国府台高等学校『創立40周年記念誌』