発行所 千葉県立国府台高等学校同窓会 広報委員会
市川市 国府台 2-4-1
発行責任者 伊能 重憲
2020年に東京でオリンピックが開催されます。宮田さんは、1964年の東京オリンピックで聖火ランナーを務められました。
小学生のころから陸上競技が好きで、当時は五郡市(市川市・船橋市・松戸市・習志野市・東葛飾郡)大会などに参加し運動を愉しみ、高校でも陸上部に所属し短距離ランナーとして活躍されました。キャプテンを務めていた3年の時、顧問の小宮山先生から突然、聖火ランナーに任命されたと聞かされ、驚きと嬉しさと戸惑いを感じつつ練習に励まれたそうです。
当日は、市川駅から市川橋手前までの約700メートルを、掲げた聖火トーチを守りながら、伴走者20人程と控えの走者と共に大声援の中を走り抜「あっという間の4分だったけれど、東京の第一走者が江戸川を越えるまで緊張が続いた」と当時を振り返られていました。
聖火ランナーの大役を務めた後、小宮山先生が国立競技場で場内アナウンスをしていた関係で、陸上部全員、国立競技場でオリンピックを観戦することができ、初めて目の当たりにした外国人選手の迫力に圧倒されたそうです。
卒業後一年間の浪人生活の中で楽しかったのは、陸上部のOBとして後輩の指導をした後、3年生の時にできたプールで毎日のように泳いでいたことだそうです。水泳はあまり得意ではなかったそうですが、2キロは平気で泳げるようになったとか。
大学を中退し、建築関係の会社を経て独立し、家屋のリフォームや内装を手掛ける会社を立ち上げられました。その頃は日本全体に活気があり、多忙な日々を送りましたが、子供のころからスポーツで培った丈夫な体で乗り越えられたそうです。それでも一昨年体調を崩し、入院生活を余儀なくされました。が、復活!「スポーツは、体も心も強くしてくれます。いいものです。2020年、楽しみですね。」と笑顔で話されました。
3期生 小松崎厚先輩の訃報、驚きました。(平成30年8月7日)
同窓会の御仕事をさせていただいていた時は、大変御世話になりました。
高校時代は、コーラス部(合唱部)にも、在籍されて、御活躍され、同窓会の会議後懇親会では、美声で歌われていたことが思い出されます。
御冥福を御祈りします。
22期 尾形光造
◇ ◇ ◇
昭和25年、母校の市川市立から千葉県立への移管にあわせて校歌が制定されることになった。
同年6月1日の移転祝賀会で校歌が発表されたまさにその時、ピアノ演奏したのが当時3年在学中の小松崎氏だった。「校歌初演の栄誉は思い出深い」とよく話されていた。
卒業後は長く本会の要職に就かれ尽力された。
(編集部)
岩野 昶(1)
今年米寿を迎えました。
早稲田で共に美研OB展を20回近く続けてやってきた三期生の根本衛さんを一昨年(H28)見送り、寂しくなりました。
市川 澄子(9)
同窓生でもある妹二人に先立たれました。2008年に10期矢島(市川)雅子、2015年に14期阿部(市川)伸代、とても残念で淋しいですが妹達の分、もう少し頑張りたく思って居ります。
藤井 寛子(11)
卒業以来会った同期生も一緒に母校を訪れ、校庭に入らせて頂きました。
また訃報ですが同期の藤城(岡本)弘子さんが2017年3月に亡くなられた事、暮に知りました。
伊東 広孝(23)妻 加代子
平成二十四年八月永眠いたしました。長い間同窓会報ありがとうございました。
中島 慈舟(4)妻 絢子
昨年(H29)4月1日に夫中島慈舟は永眠いたしました。大変お世話になりありがとうございました。
片岡 紘迪(9)妻 和代子
国府台高校同窓会会報をお送りいただきありがとうございました。夫は平成28年11月に逝去いたしました。御交友ありがとうございました。
佐々木 教安(22)
会報で坂本先生の訃報を知りました。ご冥福をお祈りいたします。
小谷 小百合(25)
昨年亡くなられた美術の坂本先生とは、ここ数年お話したり食事をしたりする機会がありました。亡くなられて残念です。
武藤 由紀雄(28)父 卓
平成九9年3月死亡いたしました。大変お世話になりました。(享年39)。
毎年のことですが、翌年の2月に発送するため、年末に慌ただしく紙面をまとめました。
本会の定例総会は、毎年5月第4日曜日に開催されています。その報告が翌年の2月になるのは遅すぎるのではないかと感じています。
そこで次号から7月に発行することにさせていただきます。よろしくお願いいたします。
委員長 菅田 徹雄 (9期)
編集長 流川 呉生 (20期)
編集員 井桁美樹子 (5期)
竹内 喜忠 (14期)
池田由紀子 (20期)
柴田 幸治 (20期)
飯田 幸治 (35期)