発行所 千葉県立国府台高等学校同窓会 広報委員会
市川市 国府台 2-4-1
発行責任者 伊能 重憲
書道部は『第23回全日本高等学校書道コンクール』で最優秀校(全国優勝)の栄冠に輝いた。この大会22連覇中の強豪佐賀北高校を抑えての快挙である。
団体の部は、書体や形式により設定された部門ごとに出展された個々の作品を審査ののち、優秀作品の多い学校が受賞する。前年までの挑戦で頂点も狙えるという手応えを得るとともに、半紙作品のレベルアップが必要と分析。弱点克服のために一人ひとりが積み重ねた研鑽が、個々の力量の結晶としての団体賞に繋がった。強い気持ちで努力を続けることの意義と、その努力が報われた喜びを噛みしめている。
書道部では自らが考え、答えを見つけ、自己の表現を追究し、こだわりを持って最後まで取り組むことを大切にしている。顧問の後藤先生は、部員たちの出した答えや表現が書の普遍性を失った独り善がりのモノにならないよう、進むべき方向を示すように心掛けているとのこと。逃避せずに自己の限界を直視することなくしては限界を乗り越えるという目標は見出せないと意識し続けて欲しいと指導にあたる。
日常生活においてもアンテナを高く、視野を広くし、周囲に気を配り、何事においても他者を意識すること、結果に恥じぬ人間性を備えることを目指す。その実践として近隣の小学校での書き初め教室などの活動に積極的に取り組んでいる。
既に全国高等学校総合文化祭県予選を突破し、次年度の佐賀大会に千葉県代表として6年連続の出場を決めている。現状に満足することなく更なる高みを目指すと意気盛んだ。
吹奏楽部は平成29年度『全日本ブラスシンフォニーコンクール全国大会』でみごと優勝。さらに『全日本ポピュラーステージ吹奏楽コンクール全国大会』でも優勝すると同時にベストパフォーマンス賞、ベストプログラム賞も受賞した。
吹奏楽コンクールでは県大会の金賞、東関東大会の常連としてその実力には定評があったが、近年になりポップス部門の大会に出場したところ準優勝。大いに自信を深めたうえで、もう一段高い目標を掲げた。日頃から志向している「何よりも演奏者である自分たちが楽しんで演奏すること」「伝えたい気持ちを聴衆に届けて満足してもらえる演奏をすること」を、大会の大舞台でも変わらずにこなして栄光を勝ち取った。「国府台高校吹奏楽部」の認知度度の向上と、その伝統が実を結び始めたことを感じて喜んでいる。
活動の企画、運営は、部員たちが自主的に行っている。指揮者の須藤信也先生や顧問の福田先生は部員の考えを聞きながらのアドバイスを心掛けていて、「自主的な活動のエネルギーと、あらゆることを楽しもうと希求する心、豊かな想像力、発想力、感性が基底にあるところに自信が加わると、思わぬ力が発揮される」と評する。
その後も30年度の吹奏楽コンクール東関東大会A部門金賞(過去最高)など、さらに上を目指している。恒例のスプリングコンサートは市川市文化会館大ホールにて平成31年3月27日(水)15時開演。明日も頑張ろうという活力が湧き出るような演奏を届けてくれるそうだ。
同窓会としてもこの快挙を讃え、県道側外壁に掲出する横断幕を作製。それとともに、平成30年度の母校支援事業として大規模な部活動支援を決定。事業費として40万円を予算に計上した。具体的な配分について学校と協議した結果、
吹奏楽部ヴィブラホン(購入費用の一部援助)
フェンシング部電気サーブル用マスク
女子バレー部ボール(購入費用の一部援助)
等の支援を実施することとなった。
平成30年9月8、9日に第71回鴻陵祭が開催されました。スローガンは「平成最終章」。
今年の同窓会のイベントは、恒例の中村祐次氏指導の墨彩画に、20期飯田裕氏による紙と木片を使う干支切り絵工作を加え二本立て。パネル展示も改良され、より多くの写真や情報を提供しました。来年はさらに改良される見通しです。加えてPTAによる企画も受け入れ賑やかな二日間となりました。
干支切り絵工作は、飯田氏手作りの糸鋸を使う作業箱で来年の干支、亥の置物を作成しました。また、昨年から始めた「鴻陵祭で会いました」の企画は【7面】に掲載しています。
PTAの企画とは、古き良き国府台高校の様子を広報誌に掲載するため、同窓会の部屋に続く廊下にパネルを展示し、来場した卒業生へのインタビューやアンケートで思い出や情報を集めるというものです。
若い世代を中心に、予想以上の反響で同窓会の部屋は二日間とも、大変な賑わいでした。同窓会の今後の発展に繋がることを期待してやみません。
お隣の和洋学園がキャンパス整備を続ける中で、県道沿いの歩道拡幅を実施。
女子大前バス停・信号付近はいわゆるパブリックスペースが広く確保され、我われ第三者もその恩恵に浴している。
そこから眺めると、心なしか母校の「壁」が突出して映る。
プールは、予算の目処がついた昭和37年夏、県道に向いていた正門を現在地に移設するという窮余の策を講じ、狭小な敷地に用地を確保して建設に着手。
ところが、敷地の境界から県道(計画道路)にはみ出していたので外壁と北側に続く土塁を造り直したという経緯がある。
歩道拡幅を別としても、プール自体の老朽化が進んでおり、遠からず何らかの施策が必要になると予想される。
その際、数多ある県立高校のひとつという境遇の下で、母校の意向や中長期的な視点はどこまで反映されることになるのか。
有形無形、直接間接、様々の母校支援を続けるなかで、同窓会の「最も長い目で母校を見守りうる立場」をどう活かすかが課題となりそうだ。