HOME > 会報  > 32号もくじ >>

国府台高校同窓会会報
第32号
2013年(平成25年)2月15日

(1)

始動! 創立70周年記念事業
 母校創立70周年の節目となる平成25年を迎えるにあたり、同窓会が主管する記念事業が動き出した。
 平成24年度総会において、記念祝賀会の開催と、『輝』像の修復事業とが創立七十周年記念事業の大綱として承認された。 これを受け、記念事業計画の具体化が進められるとともに一部が実施された。
 記念祝賀会は、あまねく「鴻陵」に所縁のある人びとに参加を呼びかけての祝宴となる予定で、会場は浦安ブライトンホテル、 期日は平成26年2月15日土曜日と決まった(諸般の事情により、前号でお伝えした期日から変更となったのでご留意願いたい)。
 一方、『輝』像関連の事業は、平成24年6月に主眼である塑像自体の修復作業が完了した。 今後、『輝』像設立の由来を記した銘板を設置するなど塑像周辺の整備を行う予定である。
 平成25年春以降は、総会の承認を経て実行委員会が組織され、記念事業の運営を担う。
 なお、学校では記念式典を平成26年度中に実施する見込みであるほか、刊行はしないものの校史に関連する資料の収集整理を行う。 学校・PTAと同窓会が連携して実施する記念事業については、母校70年の歴史と伝統にふさわしい何らかの事業をということで、三者間での協議が続けられる。

 千葉県立国府台高等学校
 創立70周年記念祝賀会
日時
平成26年2月15日(土)
午後2時〜4時
会場
浦安ブライトンホテル
 JR京葉線 新浦安駅直結

「有為な人材」の育成目指す
新校長 古山弘志古山校長
 本年4月に市川市教育委員会学校教育部長から本校に着任しました。 日々、活気横溢する生徒諸君の姿に触れ、創立以来優秀な人材を輩出して来た名門校の70年に近い伝統の重みを改めて感じております。
 本校は「21世紀の日本をリードする有為な人材の育成」を学校教育目標としております。 愚考するに「有為な人材」とは自ら積極的に学ぶ意欲に富み、知・徳・体のバランスのとれた人間であり、 加えてグローバルな視野と社会貢献(ボランティア)活動への強い意志を有した人間でありましょう。更に言うならば、 予測困難な21世紀のさまざまな課題と最前線で対峙し得る人材であると思います。
 そうした人材の育成のために、毎日の授業の質を高め、三年間を見通した学習(進路)指導の上に、学校行事・部活動の日本の柱を大切にしてまいりたいと考えています。 また、生徒一人ひとりにさまざまな体験活動の機会と場を用意し、次代を切り拓く意欲と能力を育成したいとも考え、異校種間のさまざまな連携活動等を行っています。
 校訓にあります「自由を愛し、責務を果たす」生徒を理想像として、自主・自律の精神を大切にした学校運営を、本校職員とともに進めてまいります。 つきましては、同窓生の皆様には、ご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げます。


よみがえった“輝”
輝
 平成24年6月11日、12日の両日、母校正面玄関前植え込み(通称アルスの森)の『輝』像の修復作業が行われた。
 『輝』像は、日展理事、千葉県美術会会長を務めた彫塑家藤野舜正(天光)師の作品。藤野師の令嬢が在籍していた12期生の卒業記念に是非と校長がお願い したところ、藤野師は「国府台が好きですから」と薄謝にも拘らず快諾されたということで、昭和35年3月9日の除幕以来、母校のシンボルとして親しまれて 来た。
 誤って「銅像」とされることも多い『輝』像だが、実際は塑像であるため、半世紀以上野外で風雨にさらされて傷みが酷く、専門的な補修が必要な状況となっていた。しかし、必要な費用をどこからどのように捻出するかの問題があり懸案となっていた。
 そのような折、平成24年度の総会において母校創立70周年記念事業の一環として、同窓会の負担により修復を行うことが決議された。
 事業の計画段階で、塑像修復の手法や費用など専門的な判断が必要となったため、藤野師の後継者にあたる日展評議員、千葉県美術会理事長の彫塑家久保田俶 通氏に指導を仰いだところ、制作時に助手を務めた『輝』像の修復作業はご自身の手で進めたいと、願ってもない意向が示されたため、お言葉に甘えて作業をお 願いすることができ、今回の作業実施の運びとなった。

久保田先生
修復作業中の久保田俶通氏と輝像


アルスの森

遠くて近きは…
 昭和20年の終戦を契機として女子教育充実の気運が高まり、翌春、千葉県下各地に誕生した市・町立の高等女学校のひとつが市川市立高等女学校だった。
 直後に学制改革が決まり、高等女学校は生徒募集を停止。千葉県下の高等女学校は、殆どがそのまま単独で、数校が近隣の女学校を合同する形で、新制高校に 昇格と決まった。男女全く別系統だった中等教育課程の一本化・共学化がGHQの方針であったが、その多くは「女子校」となった。
 
 唯一の例外とし て、市川市立高等女学校は市川市立国府台中学校と合同し、新制の市川市立国府台高等学校となった。24年度末まで国府台高等学校女子部として宮田校舎で学 んだ旧女学校の生徒たちは、25年春に国府台に合流した。男女別棟・別クラスだったものの、とりわけ保護者に「共学」への不安・反発が根強く、女子校へ転 校した者も多かった。
 一方、この年の新入生は募集の段階から完全な男女共学であった。



※ 紙面にて、宮田校舎とすべきところが平田校舎となっていました。
  訂正してお詫びします。



 

>>
次頁




COPYRIGHT (C) 2013 KONODAI HIGH SCHOOL ALUMNI ASSOCIATION