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国府台高校同窓会会報
第30号
2011年(平成23年)2月15日

(1)

葛南の会結成 葛南分校創立60周年に向けて
 葛南分校卒業生全体の同窓会が、平成二十二年三月二十八日、本行徳公民館で開催された。これは平成二十三年、葛南分校が開校六十周年・閉校三十周年の節目を迎えることから呼びかけられた。総会
 葛南分校卒業の同窓生は、長く同窓会葛南分校支部として活動していたが、昭和五十七年の分校閉鎖に伴い、本校同窓会に合同した。葛南分校卒業生全体が集うのは、それ以来のことである。
 昭和二十六年開校とともに入学した一期生から、閉校の年に卒業した二十七期生まで揃い、なつかしい青春に戻るひとときを過ごした。
 席上、元教師として参加した中村祐次氏(本校一期生)は、人生を豊かにしてくれた分校との縁を語り、「会」への惜しみない協力を表明し、参加者の感動を呼んだ。
 会議では、「千葉県立国府台高校同窓会葛南の会」を発足させ、継続的運営を通じて葛南分校同窓生相互の懇親と交流活性化をはかることが全会一致で可決され、別記の通り役員を選出した。
 一方、葛南分校創立六十周年記念事業として祝賀会の開催と記念碑の建立が提案され、総員の賛意を得た。
 葛南分校創立六十周年記念碑建立の具体化については、九回にわたる幹事会で詳細な検討が続けられ、会員から募った寄付金をもとに、市川市の協力を得て、校舎のあった南行徳小学校の西側・内匠[たくみ]掘跡に設置することになった。
 平成二十三年三月二七日(日)、十時より現地にて記念碑除幕式を行い、十二時より記念祝賀会をホテルオークラ東京ベイで開催する。

  葛南の会役員
名誉会長
須賀 常吉 1期
 
副会長
宍倉 秀男 7期
 
幹事長
青山  旭 10期




藤原 孝夫 7期



会長
東  和男 1期


篠沢  勇 8期

書記
及川 佐一 5期




宮崎 俊雄 9期







石引 美貴 11期

会計
岩本かよ子 25期


「復権国府台高校」を期して
 新校長 鬼島 正和
 本年度四月に異動して参りました校長のおにの鬼島です。北島校長、大島校長、私と「島」が三代続きますが、よろしくお願いします。
  少子化の波は今高校にも及び、生徒数が急速に減少しております。ところが、障害を持つ児童生徒数は逆に急増し、都市部の特別支援学校はどこ も過大な児童生徒数を受け入れている現状があります。高校再編計画による空き教室・空き校舎を活用し、自力通学可能な職業的自立を目指す高等部生徒のため 分校開設の事業があり、県立市原特別支援学校「つるまい風の丘分校」に二年間関わりました。市内でも分校開設の予定があるようです。
  さて、歴代校長の思いを引き継ぐと共に、「復権国府台高校」を掲げ、更なる飛躍を期し,全教職員恊働のもと「より高みをめざす」教育を展開 しております。地域の期待を担う高校として、県下屈指の難関大学への進学実績を誇ることのできる進学校として、復権をめざし胎動しております。 変化の激しい時代を乗り切る切符を手にすることが、可能な学校であり続けるために。
  また、中庭の整備につきましては、同窓会の皆様から有形無形の多大な援助をいただきました。お陰をもちまして立派な日本庭園が完成いたしました。感謝申し上げます。今後は、この中庭を季節感あふれる庭園へと整備して参りたいと計画しておるところです。
  二万名を超える同窓生の皆様の益々の御健勝と同窓会のますますの御発展を祈念し、また、本校へのこれまで同様の温かな御支援・御協力をお願い申し上げ、御挨拶といたします。
鬼島校長


会員各位に支えられて
 前号の会報送付以降、平成二十二年末までに会員各位から寄せられた賛助金は百九十七万円(速報値)に上った。
 会報を全会員に送付する事業の他、同窓会活動全般がこの賛助金によって支えられる。
 平成二十二年度は、葛南分校創立六十周年記念事業を重点事業として活用が行われた。
 あわせて、母校支援として、母校が学校環境整備のため平成二十一年から三年計画で進めている『植栽等整備計画』に対する支援を継続して実施した。 【関連記事5面】


アルスの森

住人第一号
 市川の住人第一号は国府台で暮らしていた。
 昭和二十九年、里見公園の北、栗山配水塔に近い国府台四丁目丸山地域で、考古学者杉原荘介氏たちによる発掘調査がおこなわれた。出土した石器のうち黒曜 石の原石は長野県以北のもので、遺跡は今から二万年前と推定された。発掘後、土取り工事で遺跡は消滅し、現在は住宅地になっている。
 二万年前は氷期で、海面は現在より百二十メートル低く、東京湾も陸化していた。したがって現在標高二十数メートルの国府台も、その頃は山深く眺望に優れ、狩をするのに適していたのだろう。気温は現在の日光戦場ヶ原くらいである。
 
 当時の生活は狩猟が主で、漁労は行われていなかった。しかも家屋の建築技術を知らないので、長く定住することはできず、小集団で各地をさすらっていた。
 市川では氷期の終わる一万年前までの遺跡が次々と発掘されたが、旧石器時代の遺跡が一市内で四ヶ所もあるのは、全国でも珍しいのだそうだ。


 

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