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国府台高校同窓会会報
第27号
2008年(平成20年)2月15日

(1)

会報 全員配布事業継続へ
 同窓会創立以来はじめて行われた会報の全員配布事業と恒常的財源としての賛助金の募集は、会員各位より多大の協力が寄せられ、会報全員配布事業 の継続と同窓会活動の新たな展望が開ける結果となった。

 会報全員配布事業は、新規入会者(新卒業生三百余名)の納入する終身会費が事実上唯一の財源となっている状況からの脱却をはかり、同窓会の活動に全同窓 生の参加を得るとともに、同窓会会員台帳の個人情報の精度の向上をめざして実施されたものである。
 平成十八年十二月時点で連絡先不明あるいは逝去された会員を除き、全ての会員を対象に会報の送付を実施。約一万四千名宛に発送したもののうち、千五百通 余が転居先不明等の理由により残念ながら返送された。名簿ネットワーク委員会を中心に、各期理事への調査依頼に加え、電話による問い合わせ等の追跡調査を 継続実施中である。平成十九年十二月末までに新たに四百四十名の連絡先が判明し、会報を送付することができた。会員台帳上の情報の精度の向上に関しては一 定の成果が得られたと言えよう。
 一方、賛助金の募集に対しては、平成十八年中に七百七十名より二百五十八万円が寄せられた。この数字は平成十八年度実施の会報全員配布事業の費用に充当 した上で、例年通りの同窓会の活動に加え引き続き会報全員配布事業を実施するのに十分である。「賛助金による同窓会運営」に向けての着実な一歩が踏み出さ れた。
 会報全員配布事業は、これからの同窓会活動を支える基盤となるものである。その前提として、会員各位の理解と協力が欠かせない。単に活動内容の充実をは かるのみならず、活動に関して会員に十分な説明を行う機会と、会員の意見を柔軟に活動に反映させるための機会をいかに確保するかが今後の事業継続において の重要な課題である。

同窓会会報全員配布事業を実施して
会長 伊能 重憲
伊能重憲会長

 「偽」の年平成十九年も暮れようとしています。会員の皆様にはご活躍のことと思います。
 本会のこの新規事業も多くの会員のご協力を得て、当初の目的をおおむね実現することができました。細部の報告は五月第四日曜の総会に譲るとして、先ずは会員各位のご協力に深く感謝申し上げる次第です。
 とりわけ、財源を終身会費にたよる同窓会運営を改善したいとの願いから募集した賛助金につきましては、七百七十名、二百五十八万円のご協力を頂きました。重ねて厚く御礼申し上げます。
 なお、一人でも多くの会員に会報を届けたいとの思いから、名簿委員会を中心に現在も連絡先の確認作業を続けています。
 このたびの事業について、賛同のご意見や激励も多く頂いており、たいへん心強く思っています。会報の全員配布と賛助金の募集を継続させていただき、会員 名簿台帳の充実をはかり、さらには母校への協力等々、同窓会活動の一層の充実に向けて有効な予算の編成をもって、会員の皆様のご期待に沿っていきたいと存 じます。
 会員の皆様には時に母校に思いをいたし、同窓会活動に関心をお寄せ頂き、忌憚のないご意見をお聞かせ願いたいと思います。また、会員各自の住所変更の連 絡はもとより、クラス会、同期会では一人でも多くの同窓生の連絡先を把握していただきたく、切にお願いする次第です。また、各期の理事の変更も是非ともご 一報ください。
 今後とも本会の活動にご支援くださいますようお願い申し上げ、新しき年の各位のご健勝とご発展を祈念申し上げます。


燦然輝く松柏こそは
校章
 同窓生有志から寄せられた浄財のおかげで、母校の講堂に掲げてある校章に、三十五年ぶりに化粧直しを施せた。
校章は昭和二十一年にデザインを全生徒から募集し、採用された作品を図画の斎藤武教諭が加筆して、翌二十二年に制定された。
 柏の葉と松葉を組み合わせ、中心に三角を据えてある。柏の若葉は燃える青春を、松葉は堅く芯のある生き方を象徴。中心の三角形は知育・徳育・体育を表現し、この三つの要素でバランスよく発達することを願う教育の理想を表現したのだという。
校歌には「燦然輝く松柏」と織り込まれている。

正門付近


アルスの森

校名と講堂の校章

 母校は、昭和二十一年、現在の地に移転した。それに伴い、二十二年、校名が市川市立中学校から市川市立国府台中学校に変更。更に二十三年には旧制中学から新制の市川市立国府台高校に昇格。二十五年に千葉県立国府台高校になった。
 校名が国府台中学に変更されるに当たって、新しい校章を制定することになった。他校と違い中心に文字がないのは、旧制中学から新制高校への昇格を予測して、原案にあった「中」の文字を除いたからである。
 さて、現在講堂に掲げてある校章について。寄贈された鋳金家の佐藤錦一氏の話では、昭和四八年、アトリエで作品を制作中、ふっと母校のことが浮かび、大事にしまっていた徽章をとり出して、手元にあったFRPを材料に作ってしまったのだという。
母校野球部が夏の県大会でベスト8になり、その後も快進撃を続けた時期である。彼は「国府台を甲子園に送る会」結成を呼びかけ、会長として応援に血を沸かしていた。「その弾みかなあ」と当時を回顧している。
*FRP…繊維強化プラスチック

 

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