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国府台高校同窓会会報
第29号
2010年(平成22年)2月15日

(8)

こんにちは!
 映像と共に生きる
9期  恒松 龍兵 さん 

 恒松さんは1年の二学期に千葉高から転校しました。初めに知り合ったクラスメイトは演劇部員で、すっかり意気投合し入部、興味があった照明を担当。 部活を通して、もの創りの楽しさを実感したそうです。友人にも先生方にも恵まれ充実した高校生活を送ることが出来ました。
 写真を学ぶ大学時代からNHKテレビでADのアルバイトをしていましたが、動く映像の世界で動かない写真によるドキュメンタリーに挑戦もしました。 卒業後、フリー写真家として活動。ある時、映画会社の製作に加わり、一人ですべてを仕上げていく写真と違い、それぞれのパートの専門家がチームを組みひとつの作品を作り上げていく映画に魅力を感じ、この世界に入っていきました。 そしてライフワークとして、ドキュメンタリー映画の製作に力を注ぐようになったのです。
 主な作品には、ハンデのある子どもたちのキャンプを記録した映画『手足の不自由な子どものキャンプ』(文部省特選)。 スペインで子どもたちが自立して平和を願い世界に活動する共和国の生活を綴った映画『ベンポスタ・子ども共和国』(1989年)、 フルトライアスロンの鉄人レースに義足で挑戦した青年と彼を支える技術者の二年半にわたる挑戦の記録を綴った『片足の鉄人』(1994年)などの力作があります。
 2005年に障がいのある人を真ん中にした三世代市川市民参加のチャレンジドミュージカルが開催されました。チャレンジドとは「神様から挑戦すべき課題 を与えられた障害を持った人」という意味です。第一回公演は『ハクナマタタ(スワヒリ語で大丈夫だよ)』。その過程を追った一本のドキュメンタリー映画を 完成させました。たった一日の公演のために五ヶ月間練習を重ねるチャレンジド、サポーターの学生、母親、ボランテイァたち。ストレートな感情をぶつけてく る子どもたちの現実を目の前にして戸惑う学生たちの不安と悩みの日々。そして迎えた本番。舞台が客席が一つになってはじけた映画『ハクナマタタ チャレン ジド・ミュージカルへの熱い五ヶ月』は、チャレンジドが発信する心からのメッセージを受け取ることができます。
 また、市川をテーマに来年六回目を迎える大規模な市川市民ミュージカルにも毎回、映像協力しています。その他に市川ゆかりの文人、永井荷風描いた演劇『荷風幻像』では、上演委員長として参加しています。
 大学在学中から一貫して映像の世界に拘わっている行動派の恒松さんのお話は興味深く楽しいものでした。

恒松さん



私版・葛南分校史
抄録・その4
  昭和三十年代は、行徳町の市川市への合併にはじまり戦後のベビーブーム到来と、
時代の流れに伴い、葛南分校としても変化の激しい時代でした。
昭和30年代の葛南分校
  江戸川からの引き水が新緑の木立の下径をぬけたところに、まるで山の分教場のような古ぼけた校舎があった。南行徳中学校の表札の横に「葛南分校」小さく出ていた。
 当時の職員室は後の生徒会室で真中に大きな角火鉢があり、やかんが湯気を立てていた。小さな机が五つ六つあり。それだけで室内はいっぱいの有様だった。当時の職員は主事や事務員を入れても僅か六名であった。
 夏には蛙の斉唱が轟き、秋には虫の大群が押し寄せ、冬になると床の割れ目からすき間風が忍び込んだ。生徒数は四十名に満たず、年齢も仕事内容も様々で、総じて学校というよりは塾といった印象で、わいわいと騒々しくまた和やかであった。
 この時代は毎年三学期になると、職員、生徒が手分けして近隣の中学校を巡り、ポスター掲示、新聞折り込み等で生徒の勧誘に努めた。

 昭和31年10月には行徳町が市川市に合併編入され、葛南分校では二階三教室が増設された。
 昭和36年には創立十周年記念事業が行われた。
 これを機に分校歌が作られ、分校旗と共に記念式典で披露された。
 振興会も県下で最も早く結成されていたが、会員数も充分とは言えず、当時の浦安町長の宇田川さんや主事さん達で浦安の町を歩き廻り苦労もあった。
 夜間高校の独自性を持つべきだとの考えを行事にも生かそうと十五夜のお月見を行った。朝礼台にすすきを飾り、お団子の代わりにテニスポールを盛った。全 生徒に職員も参加し、フォークダンスをしたりして一夜を楽しんだ。当時市川市議会で、定時制生徒にもっと良い環境をという意見もあって夜間照明が完成し、 体育授業も球技も自由にできるようになっていた。
 また分校開校当時の条件から、市川市、浦安町からの分校運営費もあって、当時としては他の定時制からは羨望されるほどの恵まれた環境にあった。

 昭和38年、戦後のベビーブームが押し寄せ、葛南分校は解消され、国府台高校葛南校舎が開校された。全日制三学級156名を入学させ、全定併置の学校となった。
 この年、葛南校舎全定合同体育祭が行われた。
 しかし、翌39年には本校に吸収され葛南校舎を解消し、再び葛南分校と改称、県下唯一の夜間定時制専用校舎となった。
校舎
 
門柱


声
末次 治子(葛南8)
 葛南分校の記録、なつかしく読んでいます。
岩野 昶(1)
 創立66年、旧制中学を経て自主、独立、自由の校風が愛され続け立派な高校となった事、嬉しく思います。
澤村 晶子(8)
 2年置きの同期会にはなるべく参加するようにしています。元気に会えるのを楽しみにしています。
外岡 弘子(13)
 大病しても同窓会だよりなど読むと若い頃思い出され、友人達のその後の情報が入ってうれしいです。学舎が発展していることうれしいです。少々ですが送ります。
安永 和代(16)
 同窓会会報をお送りいただき、役員の皆様有難う御座います。青春時代が懐かしく想いだされ楽しみに拝見しております。還暦を過ぎ健康に感謝して“人生の春”を楽しんでおります。
植田 洋一(18)
 「栄光の歴史を未来へ」を読み現役生に真の伝統を伝える良いアイデアと思います。学校間の情報戦に勝ち抜くためにホームページの充実にも対応下さい。期待しています。
中尾 治子(19)
 国府台のクラスメートとは今でも長いお付き合い。仲良し美人(?)ババで旅行もします。

永塚 博達(20)
 同窓会会報を懐かしく拝見しました。機会を見て母校を訪ねたいと思っております。 
河合 真弓子(22)
 今から40年近く前に卒業しましたのに、いまだに「自由を愛する我らが母校_」、この校歌をくちずさんでいます。私にとっていくつになっても懐かしい国府台高校です。
O・K(22)
 木造校舎、生徒会館、体育館、講堂、懐かしいです。卒業後38年、初めて昨年度総会に出席し感激です。
辻 佐由美(30)
 昨年31年ぶりに鴻陵祭へ、また9月には吹奏楽の東関東大会へ行かせていただきました。大変有意義なひと時を過ごせました。久々に母校の風を感じました。 
山川 未来夫(43)
 在校生の皆さん、国府台の素晴らしい伝統である「自由」を存分に謳歌してください。そして鴻陵祭、部活、勉強に全力で取り組んでください。国府台の学生生活は皆さんにとって一生の糧になると思います。
岩見 恵子(47)
 真保 裕一さん、乙川 優三郎さんの寄稿読みたいです。

=編集室=



 全会員にお届けできるようになり、編集員一同気合いで取り組んでいます。
 会合は月に一度、十二月には三度くらい集まって仕上げ、年明け早々に印刷依頼し校正三回で完了します。地味な作業ですが興味がある方!是非参加してください。

 委員長  菅田 鐵雄
9期

 編集長  流川 呉生
20期

 編集員  井桁美樹子 
5期


 竹内 喜忠
14期


 池田由紀子
20期


 柴田 幸治
20期


 飯田 幸治
35期

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