第23号 2003年(平成15年)11月15日 (2) |
ミニレター | 同窓会・クラス会・部活OB会..... やった、やるよ、やりたいな。報告、予定のミニレター |
1期(S23年卒) 光陰矢のごとし 卒業して半世紀経過。実に五十 三年ぶりで2001年に同期会(クラス会)を開いた。総勢十一名。 1943年、市川で最初の公立学校(旧制)に九百名を超す受験者があり、百二十名が入学した。 入学試験は市川小学校を借り、算数、国語は口頭試問で、体育の試験は鉄棒。興津での教練(臨海学校)があったこと、敗戦後は母校の教師の中に、自己研鑽 に励む気風が横溢していたことなど、話はつきない。 旧制中学として1947年六十五名が卒業。1948年新制高校として十六名が卒業。これが我等一期生。 この歳に成ると、恩師はもちろん仲間も欠けて行くのはやむを得ず、定期的に会合することが懐かしい人たちへの何よりの供養かと、以後毎年続けている。 中村祐次
配布いたしました正版では、この記事の中村祐次さんのお名前の表記に間違いがありました。 お詫びします。 |
9期(S32年卒) 常夜燈の仲間 蝶うまれ日々にゆくてに現はるる 香山 桐雨 川をへだて子等に雷雲知らせをり 齋藤 博 私達の句会「常夜燈」は、卒業後三十年目の同期会を機に、国語科の香山登一先生の提案で発足した。 会の名は、先生が数年間過ごされた行徳の地に、江戸時代からの常夜灯が一基残っていることに由来する。 月に一度、皆と会えること、飲めることが楽しく、充実した集いだった。俳句も次第に面白くなり、五年目に句集「常夜燈」をついに出版した。先生亡き後、 句会は自然消滅したが、仲間の絆はますます深まり今に続いている。 昨年、句の仲間で行徳企画村村長の田中愛子さんの尽力で常夜燈が百年ぶりに点燈された。 これを機に、私達の句会の「常夜燈」を復活させたいとの声があがり、今年再び句会を始めた。 「人は宝」、句会を通して良き交流を一層深めていきたいと思う。 齋藤 博
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ラ
ガーマンの忘年会 ラグビー部の三期生で、毎年十二月に忘年会を開いている。 2002年は創部一期生から四期生まで合同で開催した。創部者の大澤豊司氏をはじめ、黄金時代?のメンバー十七名が集まり、にぎやかな会となった。 酒飲みが多いことを考慮して、次回から会費を値上げしようと思っている。 大久保博
20期(S43年卒) |
25期(S48年卒) 新たな出会い 我々は、今から九年前、卒業後二十二年ぶり に学年同期会を舞浜で行った。全国から約百八十名の同期生が集まった。 思い起こせば、そもそものきっかけは国府台高校五十周年記念祝賀会だった。五月頃久し振りに同級生七、八名と酒を酌み交わした折、そのうちの数名が五十 周年同窓会に出席していて、そのことが話題にのぼった。誰に会いたい、彼に会いたいと、と話がはずみ、自分達も同期会を開こうとなったのである。女性陣の がんばりでわずか十数人を残して住所が判明。同期生の約半数が出席する大盛況に卒業以来の年月の経過も忘れさせられた。そして以後五年に一度開こうと決め た。来年その三回目を開く予定である。 同期会は、ただ懐かしい人に会うだけではない。在校中あまり親しくなかった人ともすぐ壁を越えられ、心おきなく話ができる。そこには新たな出会いや可能 性に満ちている。そして何より友らの元気な姿や笑顔が自分に大きな力と勇気を与えてくれる。 改めて、五十周年記念事業を立ち上げた諸氏に感謝と敬意を表したいと思う。 張 恒星
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陽
気なウォーターボーイたち 水泳部OB会は1968年四月、大村史郎を初代会長として、市川駅前の焼鳥屋二階で発足した。以来三十五年、毎年四月に定例のOB会を開いている。参加 者は新OBを含め約五十名。二十五周年の年には記念パーティーを市川グランドホテルで開き、百数十名の参加者があった。 いつもは、居酒屋で開きひたすら陽気に飲む。最後に二十期の立山正伸の指揮で校歌を歌い、盛会の中に散会となる。毎年、幹事は卒業後三年目前後の人が担 当している。 我等OB会では、発足以来会の仲間がコーチとして現役水泳部の指導にも当たっている。 (会長)藤田 孝
20期(S43年卒) |
11期(S34年卒) いつまでも元気でいよう!! 我が三組のクラス会は、卒業後二、三回開き、その後約二十年の空白を経て1985年に再開しました。中村先生と男性十二名女性 八名、クラスの半数の参加 がありました。当時全員四十五歳、中年のおじさん、おばさんと思いきや、特に女性が若々しく嬉しくなったのを思い出します。 その後、一年おきで九回になりますが、その度に卒業後初登場の顔ぶれがあり、懐かしさに皆で歓声をあげています。今回は幹事が校歌の歌詞を用意したの で、四番まで一句一句思い出をかみしめながら皆で歌えたことが印象的でした。 中村先生は欠かさず出席され、相変わらずの若さとバイタリティに一同感心し、刺激されています。 卒業名簿四十二名の中、四名が住所不明、一名逝去。仲間がいつまでも元気であれと願ってやみません。 大谷明夫
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楽しかった三年間をふり返って 国府台を卒業して早や四十年になります。小さい頃から体が弱く、これからの人生どうしたら「自立した生活」を獲得できるのかが私の課題でした。 国府台にはそういう私に、親身になって相談に乗ってもらえる友や先生がいました。音楽部や保健委員会での活動の中から、人生の指針を頂いた事もありまし た。 現在ボランティアで週一回市川FMの番組を持っています。かつて養護学校に勤務した時、市川病院、国府台病院、子供の自宅などでの訪問授業の経験から、 子供達の長い療養生活でラジオが大切な役割を担っていることや、大人でもラジオが生きがいという生活もある事を知りました。自分の番組によって、一人でも 多くの人に喜んでもらえればと思っています。 国府台の自由で大らかな校風の中で、じっくりと自分探しができた事が今の私の心の財産になっています。 柏田温子
16期(S39年卒) |
思い浮かぶ事ども 創立六十周年を迎える佳き日を、国府台の学舎で教鞭をとられた先生方、卒業生、そして在校生、父母や教育関係者の皆様方と共に心より喜ぶ者の一人です。 今思うと、その当時の困った事や嫌な事も、いい思い出となり、物質的には恵まれない時代だったが、自由な雰囲気の中で友達と青春を謳歌した高校時代でし た。 三期生の総会は、母校同窓会総会と同じ日で、今年も大盛会となりました。 残念なことに、愛好心の強い川口さんが天国に旅立たれ、めでたさも中くらいのような気持ちです。 横関久由
3期(S25年卒) |