第23号 2003年(平成15年)11月15日 (1) |
実行委員長
澤田大八郎 |
創
立六十周年を迎えて 今般、我等が母校国府台高校が二〇〇三年度(平成十五年度)を以って創立六十周年を迎えることに成りました。 顧りみますと、激動の二十世紀後半の歴史と共に歩んで来た国府台高校も、大過なく今日を迎えられたことは、これも創立以来、本校の発展に寄与された歴代 の諸先生方はじめ関係各位、皆様方の情熱と研鑽の賜物と拝察し敬意を表する次第です。特に今回は初めて学校、PTA、同窓会の三者連携によって記念行事を 実施いたします。 会員のみなさまには、今般の記念事業への協力を賜りますようお願いすると共に今後より一層のご支援とご協力をお願い致します。 |
60委員会委員長 伊能重憲 |
記念事業への参加を願う 昭和十八年(一九四三年)四月に、市川市立中学校として創立以来の六十年の歴史に思いを致し、長時間の競技の結果、三者合同の記念事業の計画が立てられ ました。 同窓会としても、それを歓迎し、実行委員長に澤田会長、副委員長 に加藤理事長、委員として川島副会長、菅田広報委員長がその任に当たっています。 同窓会は主として祝賀会を担当することになり、十五年度総会に於 いて、鴻陵会記念事業委員会(略称:60委員会)の組織と事業実施要領につき承認をいただきました。60委員会は、各期理事を中心に、実施計画の細部検討 と、準備作業のための会合を重ね、今日に至りました。 ご案内の各事業への協力をお願いすると共に、一人でも多くの方々 に祝賀会へ参加をいただきたいと願っています。 同窓生一同、母校の歴史を愛で、その発展を期待したいと思いま す。 |
十五年度定例総会は、五月二十五日、母校で開催された。澤田会長、布
施校長はじめ学校側来賓の挨拶の後、議事に移った。 事業報告、事業計画、会計報告、監査報告については異議なく承認された。予算案については、十五年度一般会計予算と、六十周年記念事業費四百万円余を支 出する特別会計予算案とが、いずれも承認された。 六十周年記念事業に関しては、まず、同窓会・学校・PTAの三者が運営する記念事業の進捗状況について、澤田会長の報告があった。続いて同窓会の取り組 みとして、伊能副会長を委員長とする「鴻陵会記念事業委員会」が、祝賀会ならびに名簿発行を柱に事業運営にあたるとする「記念事業実施要領」が承認され た。 総会終了後、例年どおり懇親会に移り、久しぶりに先輩、後輩との交友を楽しんでいる姿が見られた。 |
草
創のころの鴻陵生
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本校の創立(当時は旧制市川市立中学校)は太平洋戦争のさなか。昭和
十八年入学の一期生は三年生のとき終戦を迎えた。その一人、関谷忠男氏は学生生活の
想い出をこう振り返る。 (1)入学試験は市川小学校で、入学式は校舎を借りた平田小学校の校庭で行った。 (2)年を経ずして仮校舎焼失市川商業(後に廃校、場所は現宮田小学校)に移転。 (3)初代校長の尽力で上総興津にあった東京市立一中の至大荘で夏冬一週間程度の海洋訓練をした。夏は祠[ほこら]まで往復の試胆会と遠泳、冬は日の出前 の海に入る禊[みそぎ]があり、忘れられない。 (4)戦争が激化し、校庭南東隅に防空壕を掘り、空襲警報が発令されると、学校に近い生徒が輪番で昼夜を問わず警備のために登校した。 (5)勤労動員として船橋の日本建鐵で戦闘機の部品作り。作業中敵機襲来、機銃掃射を受けたが、当校関係者は全員無事だった。 (6)昭和二十年八月十五日、敗戦を工場のラジオで聞いた。当日の抜ける様な青空は今も鮮明に覚えている。 六十年の歳月につれ、世の中も学校も変わった。 それぞれの想いを胸に国府台で学校生活を送った鴻陵生も一万八千を数えるに至った |