第20号
平成13年(2001年)1月15日発行 (1) |
十二年度定例総会は、五月二十八日に例年通り母校会議室で開かれた。
会長、学校長の挨拶に続き、議題に沿って進行した。
一、役員改選について
一、会則改正について
一、平成十一年度活動報告
一、平成十一年度会計報告
一、平成十一年度監査報告
一、平成十二年度事業計画
一、平成十一年度予算案
一、母校創立六十周年記念事業について
議題は順に報告され、すべて承認を得た。(詳細はこちら)
本年度の新企画として、インターネット上に本同窓会のホームページを開くことが決まり、広報委員会に新しく三十五期の飯田幸治氏が加わり、立ち上げに取り組むこととなった。
記念事業準備委員会は、新会長の鈴木宗一氏(四期)を委員長に迎え、記念事業実行委員会として活動することとなった。
総会後の懇親会では、年代を越えた交流が深められ、様々な情報交換の場として有意義な時間が費やされた。最後に全員で校歌を唱和し散会となった。
(事業報告、予算・決算はこちら)
第六代会長 鈴木 宗一
母校を卒業して約五十年になります。副会長三期六年を経て此の度総会にて会長の信任をいただきました四期生の鈴木宗一でございます。
現在約一万七千五百人の同窓生の方々がおられますが、皆様方の母校並びに同窓会に寄せる思いは、いろいろであろうと思います。
申し上げるまでもなく同窓会の目的は、母校を後援し会員相互の親睦を図ることにあります。
人の一生の中でふと高校生時代を思う時、千葉県立国府台高校が市川市にあって、母校に同窓会があるのだと感じられる様にと思っております。
これからは、諸先輩方が築いてこられた伝統を踏襲しさらには、運営ノウハウ、人のネットワーク等も十分視野に入れ「二十一世紀にふさわしい同窓会事業活動」を皆様方と一緒に仲良く楽しく作り上げ、推進してまいりたいと存じます。そして会報等を通じて情報を発信してまいりたいと思います。
それにいたしましても同窓会事業活動は、ボランティア活動によるものであります。少ない予算と限られたスタッフ(役員)の方々で行なっています。
どうぞ皆様方のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
本年度、新たに着任された校長先生を訪ね、お話を伺いました。長時間に渡り、又、話題も多岐に及びましたが、一部を紹介します。
<前任校は>
県立松戸六実高校です。
<国府台高校の印象は>
着任して初めての始業式で生徒諸君と対面したときには、何となく雑然とした感じを受けとりました。
一方で実に率直に反応することに感心しました。感情豊かな生徒が多いのかなと思いました。
<現在の高校生気質は>
日頃、コミニュケーションのない者に対してはきわめてクールです。自転車の二人乗り(ときに三人乗り)が目につくので注意するのですが、無視します。挨拶にも同様な反応が見られます。
悪意はないのでしょうが、この世代が見せる一つの特徴ではあります。
<同窓会について一言>
集まり散じて人はかわる、これが学校です。しかし、卒業生にとって国府台高校が母校であることは不変です。その組織体である同窓会が意欲的に活動されていることを心強く思います。
現に学校は同窓会の皆さんより財政上の支援を受けており、感謝申し上げます。校長先生の立場では、生徒との係わりが少ない中で、積極的に声をかけたり、鴻陵祭に取り組む熱心さにエールを送ったりする若々しい先生と、楽しい時を過ごさせていただきました。
(広報・流川)
森 祥子 先生 森先生は芸大ピアノ科を卒業され、国府台高校には昭和二十六年五月から三十八年三月まで在職されました。音楽の授業だけでなく、合唱部でも多くの同窓生が指導を受けました。
後に、玉川大学芸術学科助教授となられ、平成三年まで、同大学音楽研究所に勤務し、定年退職されました。
若い頃よりたびたびリサイタルを行なったり、チャリティーコンサートに参加されたりして活躍されました。
現在では自宅でピアノの個人教授をされています。退職後もチャリティーコンサートの「ピアノ協奏曲の夕べ」にたびたび出演され好評を博しています。先生は、二十世紀のまとめにと一昨年に芸術劇場大ホールで演奏された、モーツアルトピアノ協奏曲No.23イ長調(K288)をCDになさいました。
先生は大変お元気で、剣道は四段、手を骨折されたときのリハビリテーションで覚えた水泳は、マスターズ大会で金、銀、銅メダルを数多く獲得しているほどの腕前で、今でも続けておられるそうです。
母校の創立と当時の事情
昭和十八年 太平洋戦争で日本の敗色濃くなったこの頃、東京都は学区制を強化した。そのため市川市の子供達は都内へ進学することがきわめて困難な事態となる。その対応策として市川市は国府台高校の前身である「市川市立中学校」を設立した。 現在平田小学校のある場所に仮校舎を建て、第一期生百二十名が入学した。 昭和十九年
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