第19号    平成12年(2000年)1月15日発行

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ミニレター 同窓会・クラス会・部活OB会.....
やった、やるよ、やりたいな。報告、予定のミニレター
13期(S36年卒) 三十八年ぶりのクラス会です
 
 四月二十四日、五関善四郎先生を囲んで、十四名のクラスメートが参集しました。昔の面影少ない友らに一瞬戸惑いつつも、声や表情で思い出すことができ、懐かしさ嬉しさがこみ上げてきます。青春時代の話に花が咲き、貴重なひとときとなりました。
 先生の山嵐的な黒髪は白くなりましたが、穏やかな声と優しい目元は変わらずにいらっしゃいました。今も数学の研究を続けておられます。
 クラス会のきっかけは、堀田啓文さんが一月六日逝去された事からです。亡き友に感謝と、ご冥福を祈り 合掌。
千葉和恵
 
船橋市・松戸市職員 合同鴻陵会開催

 国府台高校創立五十周年記念大会の開催以来、地元市川市と船橋及び松戸市役所職員の鴻陵OB会、三市合同の交歓会を開催したいと呼びかけをしてまいりました。
 お陰様で、昨年十一月六日、市川グランドホテルにて開催の運びとなりましたが、残念ながら市川市役所鴻陵OB会の結成ができず、今回は船橋と松戸両市職員OB会による交歓会となりました。
 両市鴻陵会は、総勢合わせて百十名余りになりますが、互いに声を掛け合い、三十七名が一堂に会し、日頃行政に携わる者同士、情報交換や今日の困難な地方行政業務遂行の悩み等を話し合い、和気あいあいの充実した有意義な会となりました。
 地元市川市においても、是非六十周年記念大会に向けて、鴻陵OB会の結成をお願いしたいと思います。

松戸市職員 中澤 礎
15期(S38年卒)
6期(S29年卒) 「懐かしさ」を楽しむ心
 
 還暦という大事な通過点をちょっぴり越えた、我が六期。毎年の同期会には、四十名ほど集まって、大いに盛上がる。平成十年度は、十月三日銀座クルーズ・クルーズで開催。

 和田正武、森祥子両先生の御来席をいただいた。毎年の楽しみは、初参加の人が誰か居ることで、今年も二名の懐かしい顔に出会えた。
 知人のアメリカ人によると、「懐かしい」という気持ちを表す適当な英語はないそうだ。nostalgicが近いが、少し違うし...と。

 日本人特有の、この繊細な感情を愛し、楽しんでいこうと思っている。  

日比野紀男

 

41期(H元年卒) 結婚披露パーティー&同窓会
 
 平成十年十一月二十八日、四十一期同窓会同志の岩田君・内田さんの結婚式が、上智大学内のクルトゥルハイム聖堂にて行われました。
 披露パーティーには、二十六人の懐かしい顔ぶれが勢揃い。司会も同窓生でした。
 不思議なもので、学生時代には話したことのない人でも、昔からの友人のように楽しくおしゃべりできるし、女の子は名前が変わった変わっていないで大騒ぎ。近況報告やら何やらと話は尽きず、あっと言う間にお開きとなりました。
 結婚披露パティーなんだか同窓会なんだか、わからなくなってしまったけれど!?(岩田御夫妻ごめんなさい)こんなに楽しいパーティーは久しぶりでした。
吉原千佳子

部活OB会 野球部OB会の近況とお願い
 いつも現役生の応援に来ていただき、ありがとうございます。
 現在会員は三百五名です。主な活動内容は、現役生激励会(夏の大会前にカツ丼を食べる昼食会)、練習の手伝い(ノックなど)、夏の大会の応援団へのジュース配りなどです。
 今、野球部では、学校のグランドをサッカー部、ラグビー部と共同で使っているため、キャッチボールもできない日があります。
 そこで皆様へのお願いです。どこか硬式野球のできるグランドがありましたら教えてください。どうぞご協力をお願いします。
OB会幹事 難波克彦
40期(H3年卒)
放送委員会OB・OG会
 放送委員会OB・OG会は、毎年忘年会を開いている。かつては、初日の出を見に行ったり、春先にドライブに行ったりもした。
 昨年は参加者の都合により新年会となったが、これからも新会員を迎えて続けて行きたいと考えている。
 このように「委員会」のOB・OG会が長く続くのも、放送委員会が一年を通じて放送室に集まり、昼の放送や行事の放送などで仕事をこなして行くからだろう。親交の深まりが、結婚に結びついた例もある。
 放送委員会は新聞委員会とともに報道委員会を起源としているため、その歴史は古いのだが、会員名簿の紛失により現在二十九期以前の会員が名簿に 記載されていない。本紙をご覧になり、OB・OG会の連絡を受けていらっしゃらない元報道委員、放送委員の方は、高校の同窓会事務局広報委員会までご連絡 をお願いしたい。
元放送委員長 石橋達平
44期(H4年卒)


想い出 越田先生 最後の授業
 静かな教室に越田平八郎先生の穏やかな声が、ゆったりと流れていきます。
 「一九四八年春のセビリアは...in the spring of nineteen-fourtyeight at Sevilla...これはセヴィールでなくてスィヴィールと発音します。」
 ドナルド・キーン著の『英語のためのパスポート』を使った授業が進みます。やがて中身がややこしい構文や文法になっていくと、教室内に小さなた め息が出始めます。中にはたばこで一息入れる生徒が出たり、文法を思い出そうと宙を睨んだり、老眼鏡を磨いたり、薄くなった頭を抱え込む生徒など様々な光 景が展開されました。
 そうなんです。実は卒業後四十年目の越田先生の授業なのです。
 平成八年六月二十二日、富士山のふもとで開かれた『越田先生を囲む会』の[青春プレイバック・今から英語]の一場面です。各地から集まった十五 名の還暦を迎えた生徒たちが、先生のソフトな話口調にそれぞれ四十年前の教室を思い出し、オールデイズの甘酸っぱい感傷に気持ち良く浸っていました。突然 「はい、それではテストをやりま〜す」この一言が全員を現実に引き戻し教室はてんやわんや。そしてテストを受ける六十歳の生徒たちの真剣な表情は、まさに 四十年前にプレイバックしていました。結果は先生のお情けで公表されなかったのが唯一の救いでした。
 その夜は全員が高校時代に戻り、久しぶりの再開に宴は大いに盛り上がり、明け方まで至福の時を過ごしたのです。
 そしてちょうど三ヶ月後の九月二十二日、我々は先生のお葬式に参列していました。大動脈瘤の手術の予後が悪化し、突然他界されました。享年七十二歳。
 四十年目の越田先生最後の授業は、十五名の心の片隅に、いつまでも残り続けることと思います。
恒松龍兵
9期(S32年卒)




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