第18号    平成11年(1999年)1月15日発行

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同窓会 鴻陵祭に出展
三年目突入
 
 
 平成十年九月五、六日に第五十一回鴻陵祭が盛大に行われた(毎年九月第一土、日曜日に一般公開)。
 同窓会は、三年前から参加している。一部屋借りて展示をしたり、語らいの場を提供したりしている。
 昨年から壁展示の他に、コンピューター展示を始め、鴻陵祭の移り変わりなど、操作を楽しみながら見られるようにした。
 早くから、来場者が入場しては出ていき、楽しそうに見入ってくれるのが嬉しい。同窓会として、鴻陵祭に参加する必要を確信した。
 鴻陵祭は高校生活最大のイベントである。その熱気の中で、在校時を懐かしみ、今を楽しむ。思い出を振り返り、未来に繋げる一つの形として、参加し続けたいものである。

 生徒たちの喫茶室の舞台裏(調理室)

楽しいイベントにするには?
  出展の目的
同窓会の存在・活動に対する理解を得る
情報の交換・収集
会員相互、会員と在校生徒の親睦の促進
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三回目の参加で、若い人達の来訪が増え、成果が表れているようで嬉しい。
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「恋のコンピュータ占い」のプリントアウトサービスをしたら、若い人達がもっと気軽に来てくれるんじゃないかな。
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賑やかさと、明るい雰囲気作りにもう少し力を入れてみてはどうでしょうか。
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卒業アルバムや、古い会報の展示を毎回してほしい。
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同窓生のみなさん、さそい合って総会や鴻陵祭に来て下さい。結構楽しいものですよ。

 
 



鴻陵のこと
 「なぜ鴻陵祭って言うのだろう?」と疑問に思ったことはありませんか?
 昭和二十三年から十六年間、本校で教鞭をとっていらした、黒羽義治先生が、校歌がまだなかった頃、何かシンボルになるものをと考え、作詞、作曲して運動会などで歌われていたのが、「鴻陵音頭」でした。覚えていますか?壮行会などで歌っていましたよね。
 国府台あたりを、歴史的に調べてみると「鴻」の字を使っていました。(前号十七号でも紹介しました。)また、応援するときに「フレー、フレー、コウノダイ」は言いにくいことから台のかわりに「陵」としました。旧制一高を「向陵」と言っていたのでゴロのよさをいただいたのかもしれませんね。
 「フレー、フレー、鴻陵!」と言いやすく、しだいに「鴻陵」が親しまれるようになりました。

創立四〇周年記念誌によるとちょうど黒羽先生が、おやめになった昭和三十九年に「文化祭」から「鴻陵際」に変わっています。ここに、何かわけがありそうですね。ご存知の方は是非教えて下さいね。



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