第16号    平成9年(1997年)2月28日発行

( 2 〜 3 )



「われら鴻陵生の絆」熱く、濃く

 「国府台高校創立五十周年・同窓会設立四十周年記念祝賀会」は、一九九四年二月十三日、東京ベイヒルトンホテルで開かれ、恩師四十名を含む、八百余名が集いました。前日の大雪の影響で、交通事情が悪く、欠席通知が相次ぐなか、当日受付の人が二百名を数え、担当者を感激させました。
 この祝賀会の大きな特徴は、同窓会の単独主催であることです。
 成功の要因として
一、実行委員会への参加よびかけをはば広くすすめ自発的意志による委員で構成したこと。
二、自主性・創意性を尊重し、会議や準備活動を周到に運営したこと。
三、パソコン部隊を組織するなど、自力で名簿作りを進めたこと。
などがあげられます。
 多くの困難を克服させた原動力は、卒業生の熱い連帯意識であり、求心力になったのは、愛校心でしょう。
竹内喜忠(十四期)



ミニレター
七期
 昭和三十年三月卒業四十五名は、去る十一月二十四日、柴又の川甚に集い、還暦を祝いました。
 四十年振りの懐古談に花が咲き、楽しい一日でした。又、中には悠々自適の者や主婦も多く、人生八十年時代の今後の生き方について、ゴルフ等のスポーツと旅行等の文化活動(特に『鬼平犯科帳』で活躍されている真田健一郎君の後援等)の実施を申し合わせました。
七期会会長 近藤春彦


二十期
 卒業生全体としての活動は、何もしていません。一部気の合った人達で時々合っているとは聞いています。クラス会をしているとか、同期会をしたいとかいう情報は、耳にしません。
 皆さん、元気でsか、平成八年九月の鴻陵祭には、同窓会も参加しました。続いて参加する様です。気が向いたら、是非立ち寄ってみて下さい。
旧三年一組 流川(中田)


四十二期
 最近、卒業以来御無沙汰の、友人の噂を耳にする。そう四十二期は、まさに今二十代も後半に、突入しようかという「適齢期世代」
 先日も同窓生同志が、式を挙げた。
 教室で、席が隣だった頃から知ってるなんて、ちょっといいね。
板橋美和


葛南分校
 昭和二十六年、国府台の南約十キロの南行徳町立中学校校舎に、夜間定時制として、二学級八十名でスタートし、昭和五十六年の、二十七期生十四名を、最後の卒業生として、三十年間に計六百五十名の同窓生を、送り出してきました。
 葛南各期の仲間は、一〜三期の有志「一二三会」の一泊旅行十一年連続実施、などにみられるように、ミニスクールならではの、飾り気ない家庭的な、在校当時の雰囲気を、今も持ち続けています。
葛南一期 須賀常吉


音楽部
 二年生のとき、市立高女と共学になり、早速音楽部をつくった。
 当時ピアノは貴重品で、生徒の使用は禁じられていたが、交渉の結果、私と河合君の二人だけが弾かせてもらった。
 卒業後、OB連中で始めたのが「鴻声会」である。
 三本松教会(当時森君の自宅)で、コーラス活動を行っていたが現在鴻声会は新年会を行うだけになった。
 しかし今でも、コーラスを続けたい者もいるのでOBの方の、参加を是非お願いしたい。
三期 小松崎厚


軟式庭球部
 我々OB会の数名は「市川クラブ」に所属し、市川市営コートを中心に、卒業以来テニスを続け、県民大会などにも出場して活躍しています。
 OB会は、昨年十二月に第一回を、開催する事が出来ました。当日は、昼は母校コートで汗を流し、夜は五関先生、江間先生も参加され、女性も含めて四十数名の懐かしい仲間達と、酒を酌み交し、昔話に盛り上がりました。
 これからも、毎年OB会を続けるつもりです。
二十二期 鶴岡敏夫



昭和二十五年三月十日サトウハチロー氏来校
 サトウハチロー氏へは緒方先生、古関祐而氏へは私が依頼に行き、サトウハチロー氏が、例の髭をはやして下駄っぱきで学校へやって来た。「何かもとになるものはねえか」というので、「実は私がこういうものをつくってやっています」と鴻陵音頭を見せると、「これいいじゃねえか」。「ちょっと校舎も見せろや」というわけで見てもらうと、「汚ねえ校舎だな」。「いや、そりゃ先生、汚ねえといったって軍隊の跡だ、これから直すんだ」というと、「いや、汚ねえ校舎から逸材が出るんだ。あんまり完璧になったら人間だめだよ」。それから案内して、今の一中のところが草ぼうぼうの校庭で、そこから江戸川へ出て江戸川堤を歩いて鴻月(当時あった料亭)へ行って食事をした。帰ってきて「どうです、ひとついい校歌をお願いします」、「あたりまえだよ、校歌に悪い校歌なんかできるか」、口が悪いもんですからね。こっちもあまりいい方じゃねえんですけど......。「それじゃ先生お願いします。古関先生のところへはいってまいりましたけれど」、「ああいいよ。あれに任しておけばいいのができるから。まあ、ぼくのは下手だけれど、あいつのはいいんだ」ということがあって、後日緒方先生が受け取ってきた。
 この校歌は六月一日県移管祝賀会で発表されたが、全国にも誇れる素晴しい出来で、以後愛唱され、国府台高校のシンボル的なものとなった。
黒羽先生の談話(PTA会報より転載)


16号もくじにもどる


COPYRIGHTS ゥ 2001ChibaPrefecutural KONODAI High School Alumni Association
千葉県立国府台高等学校同窓会 広報委員会